使用する面 |
能面−若女のつぶやき あーもう、暑いわ、忙しいわ。 あら、失礼致しました。又、お逢いできましたわね。若女でございます。ホホ。 今度は・・・そうですわね。夕顔でしたわね。 やはり、私でなければ務まりませんの。はかないだけでは、ありませんのよ。 あら、でも、もうお喋りしている時間はない様子。人気者はつらいわ・・・。 私のことを知りたい方は こ ち ら へ v では皆様、ごきげんよう。 |
元になった和歌 |
今回は、 「寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔」(源氏物語 夕顔) を取り上げてみたいと思います。 この歌は、夕顔と源氏の出会いの場面、夕顔の花をやり取りする際に、夕顔が源氏に送った歌 「心あてにそれかとぞ見る白露のひかりそえたる夕顔の花」 に源氏が返した歌です。 夕顔の歌は「もしかするとあなたは光る君ではありませんか。白露の光に、より美しさをました夕顔の花のようなお方。」くらいの意味でしょうか。 それに対する上記源氏の歌は、「側によって見定めてみてはいかが?黄昏に薄ぼんやり見ている夕顔の花(私)の正体を。」という心持ちで応えた感じでしょうか。 あまりに有名な場面なので、私がこれ以上書くのはやめておきます。 が、改めて源氏物語のこの場面を読んでみて、感心したことは、じつに効果的に半蔀を使っているのですね。 最初源氏が夕顔の家を見たときは、四、五間ほど半蔀はすっかり開けられています。 涼しげに簾など下げられていますが、中に居る女房達の額の美しさがわかるほどです。その時点では、源氏もまだ見下げているというか、「あれはどういう人たちなのかな」と思う程度なのです。 やがて、源氏が垣根に咲く夕顔の花に気づき、使いのものに一房手折らせた際、夕顔方よりアプローチがあるのですが、それがいい香りのする扇に、上品な筆跡でなかなかうまい和歌が書きつけてあるという方法。。。こんなみすぼらしい家に住まいしている人にしては、ということで、今度は恋の対象としてぐっと源氏の関心が傾くのです。 そして、「寄りてこそ」の歌を返すのですが、その時夕顔の家の半蔀は全部下ろされており、格子よりこぼれる灯りが、しみじみとしてよい感じだったということなのです。 さほど関心のないときには、開け放され、垣間見たいと思うときには閉ざされる「半蔀」。 恋心のジレンマをうまく象徴していると思います。 また、黄昏の薄闇に楚々と、ちょっと怪しく咲く白い花夕顔にたとえられたヒロインについても、この場面での「半蔀」は、ヒロインのつかみどころのなさを読者に印象付けるのにもうまく働いていると思います。 それからそれから…、 その「半蔀」をタイトルとしているこの能。お能ってやっぱりすごいと思いました。 さて、上記の歌はお能のなかでは、序の舞を挟んで、キリの前に謡われます。 思えばお能のシテは、夕顔の花の精だか、夕顔の霊だかわからないのです。もう消えようというときに「私の正体を見定めて御覧なさい。」とは、ホントに気が利いているとも思ってしまいました。 (文責 雲井カルガモ) |