今月の特集曲

「熊野」勝手語り

自分勝手な人物ととらえられがちかと思います。
しかし、仮にも、そうそうたる平家の公達の中に育った宗盛です。
本当に人の心もわからず、自分勝手な執心だけで熊野を手元に留めた暴君なのでしょうか・・・。

「熊野」には「この春ばかりの」という詞章が二度出てきます。
気になったのは「この春」がいつの春かということです。
都落ちは、秋(七月)のことですから、その「都落ち」が現実味を帯びてきたその年の春のことではなかったか…。

俄仕込みながら、平宗盛という人について少し調べてみると、妻の死を大変に悲しみ、また妻の遺言を守って、息子を手元から離さず育てあげた人物。
まだ清盛存命の頃、叛乱を起こした以仁王の若宮を殺そうとする父に、若宮の延命を頼み込み、無事宮を出家させ生き長らえさせた人物。
最後まで息子が心配なあまり、壇ノ浦で死にきれなかった人物。
政治的手腕がないのも事実なら、戦には向きませんが、家族への愛には誠実で優しい人だったということも事実かと思います。
そのような宗盛が、熊野がその母を思う心を共感し得ないはずはないと思いあたります。
だとすれば、「この春ばかり」にかけられる宗盛の思いを、察することも出切るかと思います。

その宗盛の思いを伏線にもてば、例えば、熊野の「花は春にあらば今に限るべからず」という言葉を宗盛はどのような思いで耳にしたか…。
また花見車で出かける道すがらの京の賑わいの風景も、熊野の視線だけでなく、宗盛の視線で見る見方も加われば、一層の虚しさが加わり、場面に奥行きが出るように思います。
村雨に散る桜に、熊野がその母の命を重ねたとすれば、宗盛も一門の最期を思ったのかもしれません。

結局この日の桜は、熊野、宗盛それぞれに「この春ばかりの」花だったということになります。花も一段と引き立てられます。
最後に、嬉々揚々と晴れやかに帰郷する熊野を見送る宗盛を思えば、どんどん見所満載の「熊野」だなあと思う私です。

やっぱりヘンかな?この見方。

(筆責 雲井カルガモ)


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