今月の特集曲

「熊野」元和歌

熊野には、訴えどころで和歌が引かれています。
それも、元の和歌をそのまま出して、よりその心境をわかりやすくしています。

まず、朝顔の携えてきた母の文にあった、業平母子の贈答の歌。
 
老いぬれば さらぬ別れも ありといへば いよいよ見まく ほしき君かな
                         (古今集 900) 

私は年をとって、避けようもないあなたとのわかれもあるのだから、以前より
もっと、あなたに会いたいと思ってしまう。

という感じでしょうか。

これは、業平の母伊都内親王(いつのひめみこ)が京都府長岡市にいたとき、
日ごろ宮仕えで忙しくしていた業平に、師走の頃に遣わしたとされる歌です。
急ぎのこととして、文の言葉もなくこの歌だけが認められてあったようなの
で、きっとよほどの病だったのだと思われます。

この歌に対して、息子業平の返した歌は、
 
世のなかに さらぬ別れの なくもがな 千代となげく 人の子のため

この世に避けようもない別れなどなければよいと思います。千年の寿命をと嘆く
人の子のために。

という感じでしょうか。

近づいてきた死を前にして、せめてもう一度我が子の顔を見たいと願う母の心。
母との死別を少しでも先に送りたい子の心。
いつの時代の人の親も、また人の子も共感できる親子の情の交わりです。


つぎに、村雨に散る花を見て熊野が引いて歌った歌。

春さめの ふるは涙か さくら花 散るを惜しまぬ 人しなければ
                          (古今 88)

春雨が降るのは、悲しみの涙であろうか。さくらの花の散ってしまうのを、惜し
まない人などいないのだから。

「熊野」曲中では、この歌でも、続いて詠まれる熊野本人のお歌でも、もちろん
「花」は、「母のいのち」と重ねて歌われています。

ところで、これは、六歌仙のひとり、大伴黒主(おおとものくろぬし)が作った
お歌です。

ここで、全然「熊野」とは関係ないんですけれど。

黒主といえば…。
そう!
あの「草子洗小町」で謀略を張り巡らせる、でも、ちょっとツメの甘かったあの
ワルモノ。

先の「春さめ歌」のような歌をうた方がワルモノなわけないとおもいませんか?
歌舞伎の世界に至っては、「天下覆滅」を企むらしいんです。
とりあえず本当の大伴黒主に、クロイ噂はなかったようです。
では、なぜそんな諸々のワル役をあてられてしまったのか。

古今集の仮名序にある黒主についての記述は、
「大友黒主は そのさまいやし。いはば薪負える山人の花の陰に休めるがごとし」
とあります。
その生涯について、確かなことはなにもわからない黒主だそうですから、この記述
ゆえの「とばっちり」でしょうか?

黒主は謎の人物ですが、貞観8年(866)の太政官牒に見える「大友村主(おお
ともすぐり)」と同一人物であるとする説があります。
また、黒主の歌からは、近江国や同国志賀との縁を伺えること、鴨長明『無名抄』に
よれば、黒主は神となり、近江国志賀郡に明神としてまつられたとされること、実際
に「黒主神社」が今もあること…。
これらのことを思えば、やっぱり黒主=村主なのかもねえ。

(筆責 雲井カルガモ)


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