今月の特集曲

佐藤忠信(1161-86)
平安時代末期の武将。源義経が奥州藤原秀衡の下で養育を受けていた当初から義経に仕え、『源平盛衰記』では義経四天王の1人とされている。
後に、兄継信とともに平家追討の戦いで数々の軍功をあげ、その功により兵衛尉に任じられた。
義経が兄頼朝の勘気を受け、京都堀川第(義経の屋敷)が頼朝からの刺客、土佐房昌俊に襲われたときには、義経は屋敷に残った僅かな郎党の中で忠信を伴い、自ら門を飛び出して来て応戦している。
その後、義経は京から九州へ向かうが、その船が難破し、吉野山へ潜伏した。
忠信は義経とも別れ、京に潜入していたが、かつての恋人に手紙を送ったことから、居所を察知され、鎌倉の御家人・糟屋有季に襲撃される。忠信は奮戦するも、多勢に無勢で郎党2人と共に自害した。


静御前
平安時代末期、鎌倉時代初期の女性。源義経の愛妾。磯禅師の娘で、京都の白拍子であった。
義経が京都堀川第で、兄頼朝の刺客土佐房昌俊に襲われたとき、機転によって義経を助けた。以後、義経に従い、京から九州へ向かうが、義経の船が遭難し、岸へ戻されてしまう。吉野山で義経と別れ、京へ戻る途中、従者に持ち物を奪われ、山中をさまよっていた時に、吉野山の僧に捕らえられ、京の北条時政に引き渡された。
母とともに鎌倉に護送後、義経の所在について尋問を受けたが、固く沈黙を守った。
静が舞の名手であると聞いた頼朝の妻北条政子は、鶴岡八幡宮の前で舞を奉納させた。
その際、
 吉野山 峰の白雪 ふみ分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
 しずやしず 賤の苧環 くりかへし 昔を今に なすよしもがな
と、義経を慕う和歌を歌い、頼朝の不興を買ったが、政子のとりなしによって事なきを得た。
その後、静は義経の子を出産したが、男の子であったため、頼朝の命で鎌倉由比ヶ浜に沈められた。
出産後、静と磯禅師は京へ返されたが、その後の消息は不明である。
静を主題とした謡曲に『吉野静』『二人静(ふたりしずか)』があり、浄瑠璃(じょうるり)に『義経千本桜』がある。


(文責:とりあ)

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