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前シテは、朝倉尉や笑尉を使用。水衣・無地熨斗目を着用。 後シテは、平太(武将の面、鼻の下の髭がピンと上を向いている)、黒垂の頭髪に、梨打烏帽子(源氏なので左折になってます)、さらに白鉢巻。 法被・半切を身につけて、甲冑姿であることを表現。 ツレは、直面(素顔のままさ〜)。水衣・無地熨斗目を着用。 ワキ、ワキツレは、角帽子・水衣・無地熨斗目を着用。 |
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[弓流] ゆみながし 観世流・喜多流 喜多では、後のサシ「轡を浸して攻め戦ふ」で床几を立ち、扇を左手に持ち替えて、再び床几に戻ります。 観世では、床几を立ち(小鼓の手にあわせて)ワキ座前に行き、弓のつもりの 扇を落とします。その後、常座(あるいは一ノ松)まで弓を探しにいき、再びワキ座へやってきて、扇を取り上げて床几に戻ります。 「されども熊手を」のシテ謡で太刀を抜いて切り払う形が入る場合もあります。 [弓流]のときは、カケリは舞われません。 この小書は小鼓方の重い習でもあります。 [大事]だいじ 観世流 [弓流]をして、さらに「すでに危く見え給ひしに」のところで、抜キ足・流レ足の演技[素働](しらはたらき 波間に弓を探し求める様を表現)が加わる演出。 観世流の [弓流]・[大事]の場合は、後シテは鬘桶に腰掛けず、小鼓方の床几を用います。 (かわりに小鼓方が鬘桶を用います。)これは、軍を指揮する義経の姿を強調するためです。 したがって、これら小書のときは、通常は床几に腰掛けて語りをする前シテは床几を用いないで着座となります。(前シテが床几に座るという演出は、老人がたんなる漁師ではないことを表現するためと思われます。) [弓流]・[大事]のとき、それにあわせて狂言方でも、アイ狂言を「那須」(大蔵流)や「奈須与市語」(和泉流)といった小書でおこないます。 内容は「扇の的」の話を身ぶりを交えておこなうといったもので、狂言方の重い習となっています。(通常のアイ狂言の内容は「錣引き」あるいは「佐藤継信の最期」で身ぶりは入らず、語るのみです。) (文責:映) |
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能楽「屋島」。実は私はまだ一度も観たことがない。 仕舞は少しだけお稽古したことがあるよ。 でも、シテ謡がヘンや〜、形が多くてバタバタや〜、と思い、あまり好みではなかった。 勝修羅より、哀愁の負修羅がいい、なんて思ってた。そんな認識だった。 しかし、今回、じっくりと謡曲を読んでみて、調べてみて・・・、なかなかイイやんか、 よ〜したある、と思ってしまった。 義経さん、つらい人生、いろいろありましてん。誰かに語りたいような。 都のお方ですか? 聞いてほしいねん。(そうでしょうとも!) そやけど、しめっぽいだけとちがうねん。華やかな活躍もありました! 春の瀬戸内、早朝の海のさわやかさがぴったりだね〜。 作者は?世阿弥さん?あら、さすが。 義経がシテの本作品。これほどよい修羅能はないよ!! ということで、今日から私も「屋島」ファン。 四国・屋島に行ったなら、菊王さん、継信さんのお墓参りを忘れずに! そして、マナティに会いに水族館にGO! さいごは、夕焼けの海にむかって〜、謡おうよ〜!! (文責:映) |