今月の特集曲

 「巴」の舞台
能楽「巴」の舞台は滋賀県大津の粟津が原というところです。
巴といえば、木曾義仲なので、近畿からは遠いイメージがあったのですが(個人的感想)、義仲の最期の地が滋賀県だと知り、親近感が強くなりました。

粟津の原とはどんなところだったのでしょう?

木曾の山奥から出た僧が、都見物を思いたった。はるばると、木曽路の神坂峠を越え、尾張から美濃へ何日もかかってようやく近江の琵琶湖のほとりにたどりついた。
これが有名な鳰の海(琵琶湖の別名)かと、風光明媚な湖水の景色をながめつつ行くうち、粟津が原に到着した。ここは美しい松原で、老松の並木の向こうに、広い湖がひらけ、白帆がふたつ三つ浮いている。僧は、しばらく松の木陰で休んでゆこうと思い、とある神社のかたわらに腰をおろした。(白州正子『能の物語』)

こんな美しい風景が今でも琵琶湖湖岸に残っているのかなあ?と期待させる一文ですが。。

この湖岸に続いていたその粟津の松原も今やすっかり近代工場地となり、松原の面影はどこにもない。わずかに膳所城跡公園の湖岸沿いに、松の木が5,6本生えているくらいで、これではとうてい昔を偲ぶよすがになると思われぬ。
向こうの湖岸に低くつらなる町並は、往時は港として栄え、近江八景のひとつにも数えられている「矢橋の帰帆」の矢橋の町(今の草津市)なのだろうか。左の視界には、平家物語のイメージとは全く異質な近代的な近江大橋が、湖上を長く伸び、その上を車がしきりに往き交っていた。(中石孝『平家れくいえむ紀行』)

なんだか残念な気分になりますね。。
けれども、義仲最期の地ということで、義仲のお墓が旧道沿いの義仲寺(ぎちゅうじ)にあります。(大津市馬場町1丁目)
そして、義仲の墓の横には巴塚があるそうです。
『寺の人の話では、巴塚は昭和40年頃までは義仲寺にはなかったという。その巴塚の石は、木曾の有志の人々が巴ヶ渕から持ってきたそうである。あれほど幼時から一緒に育ち、慕っていた巴を、木曾殿に並べて祀ってあげたいという気持ちからのもので、そんな温い心が木曾谷の人々には今もあるのだろう。』
とのこと。

義仲寺には松尾芭蕉のお墓もあるそうです。死んだら木曾殿のそばに葬れとの遺言によるそうです。寺では今も毎月第1土曜日に句会が開かれているとのこと、一度訪れてみるのもいいかもしれませんね。

(文責:N)

 「巴」に使われる作り物・小道具

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