あらすじ 〜古典文学現代語訳風〜 |
旅の御僧が、従僧とお連れ立ちになりまして、北陸道より御上洛なさいました。 都は千本あたりにて、北山時雨におあいになりまして、お近くにございました「亭」にて雨宿りをなさいました。 そうしておりますと、一人の女人が、 「こちらは『時雨亭』と申しまして、藤原定家卿がお建てになりました由緒あるところでございます。」と。 初冬の夕暮れ時、今はもう荒れ果ててしまいましたお庭に過ごし方を偲んでおられました。 それからしばらく致しまして、そのお方は蔦葛に這いからまれておりました式子内親王のお墓に、御僧をお伴いになりまして、「この葛を『定家葛』と申します。」と。 そのお方は式子内親王と定家卿との「人目を忍ぶ恋」、あの世でも解かれることのございませんでした定家卿からの執心、そしてそれから逃れようとなさりつつもお拒み通されませんでした式子内親王の邪淫の妄執をもお物語りなさいました。 「私が式子内親王でございます。どうかお救い下さいまし。」と。 そのお方は、お頼みになられまして、姿を消しておしまいになりました。 [中入]所の人が、御僧に問われるままに定家葛のことども昔語りをいたしまして、御供養をお勧めになりました。 御僧達は、月影の下、内親王をお弔いなさっておりますと、塚の内より、昔語りをなさりつつ、式子内親王がお姿をお現わしなさいました。 身にまとわりつく定家葛の苦しみをお訴えになられながら。 御僧達は、「法華経の薬草喩品」と御誦読なさいまして、御成仏をお祈りになりました。 その功徳でございましょうか。定家葛からお解かれなさいました式子内親王は、この御報恩にと、舞(序ノ舞)をお舞いになられました。 それにもかかわりませず、式子内親王は、お姿をお恥ずかしくお思いになられましたのでしょうか、また再び定家葛にとらわれたままの塚へと…、お姿をお隠しになってしまわれました。 (文責:めぐ) |