「高砂」の舞台 |
「高砂」といえば、切っても切れないのが「相生の松」。 ということで、今回は高砂の松についてのお話をさせていただきます。 相生の松とは、根が一つで雌雄の幹が左右に分かれた松のことをさします。 高砂の相生の松は、『尉と姥の二神が現れ「神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」と告げたことから、霊松として人々の信仰を集めるようになった』と言われています。 もともと高砂は、万葉の昔から白砂青松の地として知られていました。 また平安時代末期ごろから、全国的に樹木崇拝の思想が起こってきましたので、霊松への信仰が深まったのも、その影響ではないでしょうか。 余談ですが、海岸線沿いに内海航路の泊(寄港地)が高砂に設けられていたようです。(播磨五泊の一つ、高砂泊) 阿蘇の宮の神主・友成が都に上る途中に高砂に立ち寄ったのも、うなづけますね。 (文責:とりあ) |
「高砂」に使われる作り物・小道具 |
面・装束・小物 前シテは小牛尉、しけ(糸圭)水衣に白大口を着して(水衣は着付の上に羽織る装束です)、竹杷(さらえ=熊手)を持って登場します。 ツレは姥、縷水衣に無紅唐織で、杉箒を持ちます。 後シテは邯鄲男、黒垂(くろたれ)に透冠(すきかんむり)、袷狩衣と白大口の姿となります。 (透冠は唐草模様が全体に透かし彫りされている冠で、脇能の後シテで神舞を舞う神が戴きます。また黒垂は頭(かしら)よりも毛が少なく、肩までの長さの黒色の毛で作られている頭髪の一種です) 作り物と小書 作り物は通常は用いられません。 ただし「八段之舞」(観世)「作物出」(宝生)の場合、松ノ立木の作り物を正面先に据えます。 (文責:映) |