今月の特集曲

使用する面
能面−深井の嘆き

 ああ、もう、人生に疲れてしまったわ。
 なんて、この世には、悩みの種が多いのでしょう。あっちでは夫がいなくなる、こっちでは子どもがいなくなる。その度に食事はのどを通らない。若かかりし頃の自慢のビボウも姿を消してしまう筈・・・。目の皮はうすくなって落ちくぼみ、頬はやせこけて。でもじっとしてはいられない。さがしにいかなくっちゃ。体力だけは、しっかりあるから、大丈夫。

 でもね、こんな苦労が報われたら良いけれど・・・えっ、『隅田川』・・・。あら、いくのも嫌になる。報われない苦労とは分かっているのよ、私には。でもご本人は、一縷の望みをかけて、頑張っているのだから、私もやらない訳にはゆかない。もう少し若かったら、もっとはなやかなこともやれるんでしょうけどねぇ。生きていてほしい、と願うのは、どんな場合も同じ。希望があるから頑張れるのよ。さあ、次の一歩を踏み出さないと。

(小梅)

元になった和歌
今回は、
「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」(藤原兼輔 後撰集)
を取り上げてみたいと思います。

 この歌の作者藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)は、紫式部のひいおじいさんです。中納言となり鴨川堤に邸を構えたので堤中納言と言われました。紀貫之らと親しく交流し、醍醐朝の和歌隆盛期を支えました。36歌仙のひとりです。

 さて、上記の歌ですが、「親の心は闇ではない。しかし、まるで闇路であるかのように子どもを思うゆえ迷ってしまうことだ」という感じの気持ちでうたったものでしょうか。
子を思う親の愛情のせつなさ、理屈ではどうにもならない親子の恩愛の情がひしひしと感じられる歌として、彼の代表歌の一首とされています。この歌の場合は、技巧のないストレートな歌いぶりが、かえって効果を発揮しているようです。

 「隅田川」では、シテの一声に用いられます。それもとても重たい感じで謡われるようです。子どもを見失ってから、その姿を求めて、この果ての地隅田川までやってきた母親の心の旅路が凝縮されていると思います。「隅田川」は、当然ここから始まる話ではなく、迷いつづけたこれまでの母親の道のりの重さがまずあってのお話です。
母親の背負っってきたものの重みを、ずしりと巧く伝えていると思います。

 また、報われない結末に、どうしようもない切なさがこの曲には残りますが、それをシテ登場の場面で予感させることにも効果を発揮しています。この歌を最初に登場させたことで、子を思う親の心の切なさが、常にこの能の底辺に流れ続け、結末の悲壮感を増させていると思います。
 
 ところで、ちょっとおまけのお話を。
 この歌には隠された秘密があるようです。
 この歌は兼輔のむすめ桑子が醍醐天皇の更衣として宮仕えを始めた頃、心配でならなくて、帝に送った歌とされています。なるほどそんな感じです。
 
 がしかし、近頃、ある歌の替え歌との見方も出てきたそうです。
 なんとそれは、清少納言のひいおじいさんの恋の歌!
「人を思ふ心は雁にあらねども 雲居にのみもなきわたる哉」(清原深養父 古今集)
です。

 同じ言葉はもちろん、同じ母音の言葉を使ったりもしています。なので、口に出して詠んでみると余計よく似ている感じです。

 もしそうであれば、一途な恋の歌を、親心の切なさにすりかえて歌う兼輔の機知ににも賞賛の集まったことでしょう。

 ひ孫同士とは違って?、ひいおじいさん同士はお友達だったんですって。
 なんかちょっとおかしい話でしょ。。。

(文責 雲井カルガモ)

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