今月の特集曲

「隅田川」の舞台
古くから隅田川は様々なところでその名を知らしめてきました。
今回は「建保内裏名所百首」で「角田川」を名所題として
詠まれた12首を見てみましょう。

 角田川

今宵またたれ宿からん庵崎のすみだ河原の秋の月影  女房(順徳天皇)
都鳥すみだ河原に舟出しぬさして問ふべき人しなければ  僧正行意
水茎の跡書き流すすみだ河ことつてやらむ人も問ひ来ず  藤原定家
たれここにすみだ河原の都鳥みやこ恋しき音のみ鳴くらん  藤原家衡
昔さそふ月は雲居にすみだ河はるかにかなし思ふ都も    俊成卿女
都にてなれし月さへすみだ河言問ふ鳥のうきねのみかは    兵衛内侍 
月影のさすや庵崎すみだ河越えて待乳の山のかひより    藤原家隆
なかなかにわれに言問へ都鳥すむや河辺のほかに答へん  藤原忠定
すみだ河名に立つ鳥の都には待つらむ月ををしむ山の端  藤原知家
名にし負ふ鳥に言問ふ角田河昔の波の跡を恋ひつつ   藤原範宗
忘れぬよなれのみここにすみだ河わが思ふ方の鳥の名も憂し 藤原行能
渡し守しばしやすらへ角田河ぬれぬといはば暮を待ち見ん  藤原康光

この12首の本歌としての名歌は、在原業平の
「名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」
であると言われています。
詞書によれば、この歌がすみだ川で詠まれたことは疑いないからです。

平安の時代から、人々にその名を知られていた「隅田川」は
能楽「隅田川」でも、悲劇の舞台として登場することになったのです。

(文責:麗華)

「隅田川」に使われる作り物
『南無阿弥陀仏の声の中に』

「隅田川」では子方が引回しで隠された塚の作り物の中に入ります。幽霊である子方を出すか出さないかの「申楽談儀」の論争はあまりに有名です。(世阿弥が子方を用いない演出も面白かろうと言ったのに対して、元雅はそのような演出はできないと答えたこと。)
近年では子方は声のみで姿は出さない方法、子方を用いない演出も試みられています。

さて、謡曲には教典、経文の引用が数多くみられ、なかでも草木成仏の思想や女人成仏の信仰のもと「法華経」からの引用は最多、次に阿弥陀仏信仰の浄土思想が目立ちます。法華経思想の曲には教義がそのまま採取されていないのですが、浄土教系統の曲には教義が文句や構成の上に正確に表現されている特色があり、中世において浄土思想かなり常識に信仰されていたと考えられています。「隅田川」は大念仏(大勢の人が集まり念仏を唱える行事)が催されるという設定の物語です。
南無阿弥陀仏と唱える中世の人々の生活の様子がうかがい見れて興味深く思われます。

(文責:映)

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