今月の特集曲

小野小町について

小野小町は9世紀に実在した人物ですが、生没年も出所も明らかではありません。
小野小町の歌は、古今集に18首、新古今集には6首のせられています。

古今集には、百人一首で有名な春の歌「花の色はうつりにけりなー」を始めとし、恋歌13首が含まれ、恋多き女性の心を歌った歌が主です。その他の雑歌、雑躰、墨滅歌にも、恋心を歌った歌が多いです。けれども、恋の幸せを歌ったものがないのが不思議です。
古今集の仮名序には、紀貫之は小町の歌を批評して
「小野小町は、古の衣通姫(そとおりひめ)の流なり。あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よき女のなやめるところあるに似たり。つよからぬは女の歌なればなり」
この文句は「卒塔婆小町」などの詞章にも取り上げられています。衣通姫とは允恭(いんぎょう)天皇の后で、5世紀の絶世の美女です。
美しさが衣を透して見えるほどであったことから名付けられたといいます。泉佐野市長滝駅の南に衣通姫の墓という塚があります。紀貫之と小町は80年も時代が離れていて、2人は別の時代の人物ですが、古今集の仮名序に書かれた事柄から小町は美人であったという伝説が生まれたのでしょう。言い寄る男の人が多かったらしいので美人伝説を確実にしたと想像されます。
古今集に集載されている小町の歌は、恋とか愛とかは既に枯れて、どちらかというと、木枯らしの秋や哀傷の気持ちを歌ったものが多くあります。
「草子洗小町」は他の小町物と違って、怜悧で元気溌剌な時代の小町を扱っていて、能では若々しい女性の姿で舞を見せませす。

小野小町の墓の所在はハッキリしません。
京都・補陀落山寺、秋田・小野、茨城・小野、福島など枚挙にいとまがありません。滋賀県にも小野道風・小野篁(たかむら)など小野性の学者を輩出した部落があり、ここが小野氏の起源だといいますが、全国どこでも小野という地名があれば、小野伝説があり、小野小町の誕生地や墓があるような次第で、確定できないのです。

蛇足ですが、この曲に謡われている「日影にみゆる松は千代までー」の文言は、永遠の松の緑を称える詞章であることから、徳川家(松平家)の式能では必ず謡われたものといわれています。

(文責 ぴのこ)


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