今月の特集曲

「殺生石」的トリビア!?

三浦の介、上総の介が、玉藻の前の本性である野干を狩るために
犬を使って練習したのが、犬追物のはじまり。


さて、「犬追物」といえば、学生時代、日本史の教科書なんかで、
馬に乗った武士が矢を構え犬を追いかける図をよく見かけたものです。
鎌倉時代から室町時代にかけ、武士の武芸の練習として行われておりましたそうで。その「犬追物」のはじまりが、ここにあるということなんですね。
野干退治の命を受けた 三浦の介、上総の介。いくら屈強の武士とはいえ
相手は妖怪。慎重にいかねばなりません。そこで、野干は犬に似ているから、と百日もの間、犬を射る稽古を続けたそうです。3ヶ月ちょっと。
もう少しはやく退治に行けよという気もしないでもないですが。
犬も気の毒です。

『下学集』(室町時代の辞書のようなものです)にも、この話は載っておりまして、そこでは
  昔、印度に班足太子という王様がいた。その后はたいそう残虐な
  性格で、班足太子をそそのかし千人もの命を奪った。その后は
  その後、中国に生まれ、周の国、幽王の后となった。名前を褒似といい  
  やはり、国を滅ぼした。その後は日本に生まれ、玉藻の前として帝の寵を
  得た。玉藻の前は白狐に変化し人を害したので、人々はこれを退治しよう    
  と まず犬を放ち、狐を追い出して馬上から射ようとしたが、白狐はやか
  ら身を守るため石に変じた。その石の殺気にあたったものはことごとく
  斃れてしまったので、この石を「殺生石」と呼んだ。犬追物とは
  このことから始まったのである。
とされています。
辞書に採用されているということは、当時は広く流布していた話だったのでしょうか。

玄翁が殺生石を割ったから、石などを割るための
大型の鉄の槌の名は「ゲンノウ」。


これは本当です。
国語辞典にも書いてあります。
お手元の辞書で是非調べてみてくださいませ。


(文責 くり)

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