今月の特集曲

ざっくり道真年表

さて、この能楽の主役「菅原道真」。かなりの有名人です。ざっと経歴を追ってみると・・・

 西暦845年6月25日誕生
 (ちなみに旧暦6月=今でいう7月、そう天満の天神さんでは天神祭りが
  この日に行われています)
 18歳:文章生として文人の道に入り、驚くべき速さで学の道を納める
 32歳:文章学士となる・・・今で言う東大文学部教授?!
 41歳:讃岐守となる・・・香川県知事?!
 47歳:蔵人頭に抜擢・・・内閣官房長官?!
 50歳:遣唐使の廃止を建議し、採用される
 53歳:権大納言に任命・・・政界NO.2?!
 55歳:右大臣

・・・とここまでは順調!なのに、この2年後、大宰府に左遷されてしまいます。

宇多天皇に重用され醍醐天皇に譲位したとき、藤原時平と菅原道真が政務の代行を行うよう命じられたのですが、コレを妬む者たちが職務を放棄したこともあるという大騒ぎ。そして、まさに出る杭は打たれる・・・右大臣に昇進してから2年後、謀反の疑いありという讒言により、当時の辺境の地、大宰府の大宰権帥に左遷されてしまいます。それから帰京することなく

 59歳:病死(903年2月25日)

これが冤罪ならば、一所懸命自分の出来ることをやってきた人に、それはないやろ、あかんやろう・・・というのは今の世も昔も、市井の人々が思うことではないでしょうか?

そんな中、ご存知のとおり、なんだか不穏な空気が世の中を流れます。

道真を陥れた時平はじめ藤原一派、彼らが次々と不幸に見舞われます。
あるものは病死、狂死、あるものは雷に打たれ、行方不明になるもの、その子孫に夭死するもの・・・。
そんな中、これらは道真公が死して怨霊になったのだというのが平安人の常識になりました。公卿の不幸のみならず、旱魃、疫病、落雷、日蝕、地震・・・etc.災厄すべてが道真の怨念から来るものであると。
いくら、道真左遷の詔を内裏で焼き捨てたところで、同じこと・・・

西暦930年5、6月は雨が降らず、その対策のために公卿達が集まる清涼殿に落雷が!
時の天皇、醍醐帝はすぐに譲位を決意したにもかかわらず、間もなく病死。
993年には結局、道真は太政大臣の位を追贈されました。
貴族の面々、よっぽどやましいことがあったのでしょう・・・。

(文責 小梅)


梅が枝餅伝説

さて、道真の大宰府生活はかなり辛い生活だった模様・・・。
太政官から「食・馬を給してはならぬ」という命令が下されていたため、役人達は道真に食物を与えることも、口を利くことも禁じ、謫居は廃屋のような状態だったらしい。
その境遇に同情した近くの老婆(浄明尼)が梅の枝に粟餅を巻きつけて道真に差し入れをした。道真の死後、この老婆が道真臨終の地に浄明寺を建立して、その菩提を弔ったという。
老婆が刺客に狙われた道真をかくまい、その後の面倒もみたという話も・・・。

というわけで、太宰府天満宮の参道には門前町が形成され、江戸時代には既に大宰府名物としてこの梅が枝餅が売られていたらしい。沢山のお店で梅が枝餅が売られています。その昔、元祖争いがあったとか・・・。さらに、その正式(?!)な食べ方のは2つのお餅(あんこ入り)で更にあんこをはさんで!!
ちなみに、焼きたてが絶品とのこと(わたしは未体験、喰いたいぃ)。是非お試しあれ。

(文責 小梅)

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