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どうして、わざわざ復讐しに行く前に比叡山まで行かないといけないのかな?と思ったら、菅原道真は、ちょっと天台宗にゆかりの人でした。。 道真は幼少の頃、健康に恵まれませんでした。そこで母親は観音様に必死に祈祷して、観音像を造立する願いを起こしようやく病気が治りました。道真27歳、その母親が没するとき彼に、自分の俸禄の一部を割いて母の念願を果たすため観音像を作るようにと頼み、道真もそれに応じます。 母親の観音信仰の厚さだけでなく、菅原家は吉祥天を本尊として祀っています。また、22歳のときに円仁の『顕揚大戒論』の序文を書いているように、天台宗に非常に親近感を持っていたようで、観音信仰を生活の基盤にすえていたとのこと。 また、道真の生きた平安中期は法華経文学の時代であり、法華経和歌や法文歌が生まれた時代でもあります。 (文責 小梅) |