今月の特集曲

「鵺」の舞台
『平家物語』によると、源頼政は、2度鵺退治を行っているんですよね。
最初は仁平年間(1151〜1154)で、近衛天皇の時代。俗に言う「頭は猿、胴体は狸、尾は蛇、手足は虎」という妖怪を退治したようです。2度目は応保年間(1161〜1162)で、二条天皇をおびえさせた怪鳥でした。
いずれも「東三条の森」から暗雲とともに御所にやってきて、頼政に射殺されます。
ということは、能楽のモデルとされたのは最初の方ということですね。
それにしても2度襲ってきた、ということはよっぽど「御所に対しての恨み」があったのか、はたまた「仲間を殺された復讐」だったんじゃないでしょうか。<考えすぎ?
ということで、今回は「鵺」に関する伝説地を見ていきましょう。

まずは「鵺塚」。岡崎公園のグラウンド中央にありましたが、グラウンド拡張工事の際、発掘調査したところ古墳時代の古墳であることが判明しました。また大阪市都島区と芦屋市にも「鵺塚」があるそうなので、殺された鵺は淀川へ流されたというのはあながち嘘ではないみたいです。
神明神社(京都市下京区神明町)には、鵺退治に使ったという鏃が2本残ってますが、これは鵺退治に行く前にここで祈願して、見事に退治できたので、そのお礼に奉納したものだとか。
二条城の北側の二条児童公園の中には、頼政が鵺の血の付いた鏃を洗った池の跡といわれるところがあります。また公園の脇には鵺をお祀りする祠や、鵺池の由来を記した「鵺池碑」が建ってます。
その他にも、平等院の塔頭の浄土院(宇治市)には、鵺退治に使った弓が残っているそうです。

ちなみに、鵺退治のご褒美は、宮中に仕える女房(あやめ御前)だったとか。
この女房の出身地が伊豆長岡ということから「鵺ばらい祭」が毎年1月に行われます。
当日は、一匹の大鵺と、小鵺が何匹も現われ、温泉街をわがもの顔に歩きまわり、鵺踊りを舞います。そこに頼政と家来が登場し、次々と小鵺を切り倒し、最後に大鵺を退治し無病息災を祈願します。鵺を追い払うことで福を招く、新年の厄払い行事になっています。

「鵺」に関する伝説地って、京都だけじゃなかったんですね。

(文責:とりあ)
「鵺」サイドストーリー
 禁中を悩ます怪物・鵺をみごと射止めて退治した源頼政(1104〜1180)とはどんな人?

 実は『大江山』の酒呑童子征伐や『土蜘蛛』『羅生門』で有名な源頼光の子孫。武勇だけではなく歌人としても一流で、藤原俊成に「今世は頼政こそいみじき上手なれ」と賞賛されたことがあり、家集『源三位頼政卿集』がある。平治の乱では中途から同族の義朝を裏切り、清盛に味方した為、平家全盛時代も清和源氏のなかでただ一人、従三位に昇り、公卿に列することができた。治承四年、77歳で以仁王(後白河天皇の第二皇子)と手を握り、清盛の転覆を企てるが、事破れる。宇治平等院における最期は『頼政』によく描かれています。

(文責:映)

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