「鵺」の内容 |
オピニオン面 〜現世の罪科を来世にても継続させることの是非を問う in謡曲『鵺』〜 永治元年〜久寿2年(1141〜1155年)、近衛天皇の安眠を妨害したとして、源頼政氏によって矢で射殺された鵺死刑囚は、現在に至るまで成仏できずにいると伝えられている。 唯一、鵺死刑囚と接触をもった諸国行脚中の旅僧は、自らの体験より、現世の罪科が来世へも及ぶことに対し、真に謝罪するならば来世にては救済されることがあってもよいのではないかと提起している。 同旅僧の体験談 三熊野参詣後の上京中、拙僧は摂津国芦屋の里(現兵庫県芦屋市)の洲崎の御堂にて一泊した夜更け、丸木船に乗船する自称鵺の亡魂と接触を持った。同鵺の亡魂は前記源氏に射殺されたときの事を詳細に語った。拙僧は回向し、成仏を勧めるが、同鵺の亡霊は波間に消失してしまった。 その後、拙僧を見舞った里人は、『頼政の鵺退治』を語り、同鵺の亡魂への供養を勧めて帰宅した。拙僧が読経しているとき、再度同鵺の亡魂が出現し、供養に対する謝意を表すとともに、前記罪科を懺悔し、また本件にて前記源氏が天皇より御剣を下賜されたこと、或いは宇治大臣との和歌のやり取りで歌人としても名を挙げたことなどをも語った。 同鵺の亡魂は、最後に自らはウツボ舟にて淀川に流されたため、いまだに成仏できず苦しんでいると述べ、回向を依頼して海中へと消失してしまった。 (文責:めぐ) |