今月の特集曲


 使用する面

能面ー小べし見のつぶやき

ワタクシは、コベシミという。

お、喋れるのか、とでもお思いか。勿論。舞台でも、しっかり主張をしておるではないか。弟の大ベシミともども、口をヘシませておる故、左様な誤解も生まれるのであろうが、これは、いわゆる瞬間表情なのである。鼻の穴をふくらませても、風邪をひいたらいくら体力があっても、窒息してしまうではないか。

閻魔大王や、鬼神を任せられるワタクシとしては、あちこちにニラミを効かせておかねばならぬこちらの都合・・・、いやいや重責があるのだ。世阿弥の時代より、ずっと活躍してきているという、由緒正しき筋故に、苦労の耐えぬこの立場・・・。

ちなみに、もうひとつ誤解があると困るので申すが、鬼神とはいえ悪者ではナイ。神の方なのである。口を開いても牙はナイ。角もナイ。ここは大切なポイントなのだ。

(文責:小梅)


 元になった和歌

今回は、
「春日野の飛火の野守出でて見よいまいく日有りて若菜つみてむ」(古今和歌集 読人知らず)
を取り上げてみたいと思います。

春日野は、春日山のふもと。。。
そこに広がる原っぱに、和銅五年(712年)烽火台が置かれました。
昔は烽火のことを「飛火」と言ったため、そのあたりも飛火野と呼ばれるようになったのでしょう。そして、そういう場所故に、常に警護する人「野守」もいたのでしょうね。

上記の歌は、その常に野にいる「野守」に呼びかけるポーズで、「あなたならおわかりでしょう?
ちょっと出てきてみてくださいな。あと何日くらい経てば、若菜摘みができるようになるでしょう…。」と、春を、若菜摘みに出かけるのを待ちわびる気持ちを歌った感じでしょうか。
その日を待ちきれない詠み手の心の高揚が1000年のときを経て、伝わってきます。

万葉の昔、春日野や春日の森は、大宮人の遊興の地であったとのこと。
狩をしたり、クリケットをしたり。上記の歌に有るように若菜摘みをしたり・・・。
きっと、数々の恋愛の舞台にもなったことでしょう。
「野守」の鬼は、鬼以外の何物でもない鬼ですが、例えば、(ワキが)「怖がるなら…」と帰りかけるような優しい鬼です。そんな鬼の棲み家としても、万葉時代の春日野はぴったりだと思います。

さて、謡曲「野守」では、シテが、上記の歌の呼びかけに応えるように一セイを謡います。
季節は少し進めて、春色のどかな感じの頃に設定している様です。
土地の人にたずねてみようという、ワキに待たれての登場という状況にも、ぴったり・・・。
いつもながら細かく見れば見るほど、感心することの多いのも、お能のすごいところだと思います。

(文責 雲井カルガモ)

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