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「野守」の舞台となった春日野は、現在の奈良市春日野町で、奈良公園の大部分を占める広い地域ですが、飛火野は奈良国立博物館のあたりで、前方の芝生が生えている一隅に小さな池水が残っています。 また博物館から道をへだてた氷室神社にある、手洗い水の古めいた石の井筒に‘鷹乃井‘と彫ってあり、神社の地名は春日野町字野守になっています。 野守は、橋守や山守などと同じく、野を守るためにおかれていた下人でした。 雄略天皇が、奈良の春日野に狩りにいらっしゃった時、手飼いの鷹が飛び立ったまま帰ってこないので、土地の勝手を知った野守を召し出して、鷹を探し出せと命じられた。 野守はくまなく探した末に、‘鷹はあの水の底にこそ候へ‘と前方の水たまりを指したので、狩人は不審に思いながら近寄ってみると、鷹の影が写り、鷹はその上の木にとまっていた。 天皇は大変感激されて、その池水を‘野守の鏡‘と名づけられた。 とのことが、「奥儀抄」や「袖中抄」、「無中抄」にも書かれています。 (文責:麗華) |
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「野守」には鏡と塚を用います。 鏡は直径一尺七寸(約50cm)の円形で、表に銀を貼り、表に持ち手があります。野守の他では用いられないものです。 一方の塚は、山とともにシテが中に入る作り物としてよく登場します。 竹の台輪の上を籠のように編み上げ、竿状につくったものをかぶせて結び留め、さらに籠の目に黐(もち)の小枝(榊など広葉常緑樹で小型の葉の木なら差し支えないそうです)を指しこみ葺きあげます。あとは引回シ(緞子でできた作り物を覆う布)を掛けて出来上がり。 ちなみに塚と山は同じつくりのもので、塚が舞台の床に直接据えられているのに対して、山は一畳台に乗せるという違いがあるのだそうです。 それから、「天地之声」の小書では塚は省除されます。前シテは幕に中入りし、後シテは幕の中で謡い出すのです。個人的には作り物の塚がある方が風流で良いと思うのですが・・・如何でしょうか? (文責:映) |