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若女と小面の舞台裏 若:まぁ、小ちゃん、又、ご一緒ね。 小:いつもお世話になっています。女2人、又、手に手をとってがんばりましょう。 若:そうね。人気者はつらいわね。 小:ハイ。けど、私、ちょっと姉様がうらやましいんです。 若:え? 小:だって、いつも主役なんですもの。 若:う〜ん。小ちゃんといる時はそうだけど・・・。あら、でも殆どそうね。 小:ね、そうでしょう。私、気が楽といえば楽なんだけど、時々、寂しいです。 若:そんな風に考えていたのね。知らなかった。 小:きっと、姉様には、分かってもらえない。 若:・・・・・・・・。とりあえず、年長者をたててもらえないかしら。 小:あ、そんな、ひがんでる訳じゃないんです。ちょっと、口にしてしまいたかっただけで。 ごめんなさい。 若:ええ、わかっているわ。お互いがんばりましょう。 (小梅) |
今回は、 「立ち別れ 因幡の山の峰に生うる待つとしきかば いま帰り来ん」(在原行平 古今集) をとりあげたいと思います。 これは百人一首にも入っているので「どこかで聞いたことがあるぞ」という人も少なくないと思います。 この和歌は因幡守として赴任したときのもので あなたとお別れして因幡へ旅立ちます。私が去ったら、任地の稲羽山の峰に生えている松ではないが、私の帰りを待ち遠しく思ってくれるでしょうか。故郷(くに)からの便りでそうと聞いたなら、すぐ帰って来ましょう。 という内容です。 「いなば」と「まつ」がそれぞれ、「立ち別れ往なば」と「因幡の山の」、「峰に生ふる松」と「待つとし聞かば」のように、一つのことばに二つの意味を兼ねさせて(掛詞−かけことば−)います。 この掛詞は古今集でよく用いられていまして、そこから謡曲や浄瑠璃などに派生していったとか。 掛詞には「1つのことばに2つの意味を兼ねさせる」ものと「1つのことばにそのまま2語の意味を兼ねさせる」ものとがあり、この和歌の場合は前者であると言えます。 さて、この和歌の作者の在原行平は、『伊勢物語』の在原業平のお兄さんです。 もともとは親王の息子だったのですが、将来を案じた父・阿保親王(平城天皇の子)によって、弟業平らとともに「在原」姓を賜り臣籍に降下しています。 このあたりは『源氏物語』の光源氏と重なるところもありますね。 また行平は須磨の浦(兵庫県)に蟄居したことがあることから、『源氏物語』の須磨巻のモデルとも言われています。 同じく古今集に 田村の御時に、事にあたりて津の国の須磨といふ所にこもり侍りけるに、宮の内に侍りける人につかはしける わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶとこたへよ 訳:文徳天皇の時代にちょっとした事件があって摂津の須磨という所に籠もった際、宮中にお仕えしてる人に贈った歌 もしかして私のことを「どうしているか」と聞く人があったら、『藻塩垂れる須磨の浦で、しおたれてわびしく暮らしている』と、答えてください。 と言う和歌も残っています。 須磨の浦に蟄居した理由は諸説ありますが、弟の業平も蟄居してますよね。 もしかしたらその血筋の良さが、当時の権力者たちにうとまれた理由なのかもしれません。 #だって一応(臣籍降下してるけど)天皇の一族だし。。。 (文責:とりあ) |