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『松風』の舞台となるのは、須磨(現神戸市須磨区)。 在原行平は、光孝天皇の怒りにふれて、仁和3年(887年)に須磨にわび住まいしたと言われています。『源氏物語』でも光源氏が須磨へ行っていますし...。 ではここで問題です。 なぜみんな須磨へ行ったのでしょうか。 実は須磨は摂津国の西端、つまり畿内の最もはずれにあたっているのです。 そんな理由から、都から遠ざける必要があってなおかつ畿内のうち、ということで須磨が選ばれていたのでしょう。 また、松風・村雨の名前の由来については、次のような話が伝わっています。 行平が浜辺の松林で美しい里の娘たちに出合い、名を尋ねたところ「知らない」という答えが返ってきました。ちょうどその時、松林を風が吹きぬけ、パラパラとにわか雨が黒い髪にふりかかったため、松風と村雨と呼ぶことにしたとか。 やっぱり都人は違いますね。(笑) やがて行平が許されて都に帰ることになった時、二人の娘は深く嘆き悲しんだため、行平は二人が浜へ出ている間に、こっそりと都へ帰ってしまったのでした。<おいおい 娘たちが家に戻ると、家のわきの松の枝に形見の冠と狩衣(かりぎぬ)が掛けてありました。 そのため、この松のことを人々は衣掛けの松と呼ぶようになったそうです。 ちなみに、今も須磨には、松風町・村雨町・行平町・衣掛町・月見山町などの町名が残っています。 (文責:とりあ) |