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本地垂迹思想によれば、神の本地(本体)は仏であるとのこと。 新しく伝来し、国内に普及しつつあった仏教と、神道が受け入れあって出来た考え方でしょうか。 仏が広く人を救うために、仮に神の姿となって現れたということらしく、本来の仏を本地、仮に神として現れることを垂迹というとのこと。 熊野本宮の神々にも本地垂迹があります。 キリのはじめに出てくる「阿弥陀如来」は、熊野本宮第三殿の主神「家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)」。 次に出てくる「薬師如来」は、熊野本宮第二殿の祭神「御子速玉之神(みこはやたまのかみ)」。 「一万文殊」は、熊野本宮第九殿に祀られた一万の眷属。 「十万普賢」は、同じく第九殿に祀られた十万の金剛童子。 ということらしいです。 余談ですが、「紀の国」=「木の国」の由来にもつながるお話を少し。 家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)は素盞鳴尊(すさのおのみこと)とされています。 父イザナギに地上を任されたにもかかわらず、母イザナミの根の国へ行きたがったスサノオ。 根の国へ向かう前に、天上をおさめる姉(アマテラス)に挨拶に行った折、その素行の悪さゆえ高天原から落とされてしまいます。 一般的にはその時降り立った地が、出雲の国でヤマタノオロチのお話へとつながっていきますが、実はもう一つお話があります。 その話では、高天原より降りたところが新羅の国ソシモリの地。 その地にはとどまりたくなかったスサノオが、土で船を作って海を渡ります。 渡ったところが出雲で、そこに大蛇がいて・・・。 その後、スサノオは、韓郷の島には金銀があり、わが国にも船があったほうがよいと考え、体中のあっちこっちの毛を抜いて宮や舟の造営に向く杉、樟、その他檜、槙などの木を生やせた とあります。 別の説では、スサノオと共に高天原から降りた息子のイタケルが、高天原から持ってきた木の種を新羅の国では蒔かずに、日本の国で蒔いたとか。 また、田辺市中麻呂の須佐神社は、スサノオが、ソシモリから木の種を持ち帰ったときの上陸地点とも伝えられています。 素盞鳴尊(すさのおのみこと)は木の神でもあったんですね。 なお、熊野には、花の巌神社といってイザナミの墓所とされるところがあります。 スサノオが地上の国を息子に任せ、晴れて?母のいる根の国に入ったということですが、その地も紀の国・・・らしい。 そんなお話を思えば、後に熊野が西方浄土とされ、熊野詣でが死出の旅のように演出されたことにつながっているのだと改めて感じ入りました。 ん? 巻絹キリとは、あんまり関係なかったですか。すいません。 (文責:雲井カルガモ) |