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「熊坂」を、あれこれ考えました。 謡曲中に「垂井」「青墓」「赤坂」という地名が出てきます。 これらは、現在の岐阜県の西部地方、垂井町・大垣市のあたりです。 いずれも中山道沿いの宿場町でありました。そして、古くより人の往来が賑やかで 遊女も多かったようです。 京都の鞍馬を脱出した牛若丸(源義経)は金売吉次の一行とともに奥州に下る途中、 赤坂に宿泊します。一行は宵より遊女を侍らして豪遊。そこで、熊坂長範らの 夜襲をうけます。この事件を扱ったのが「熊坂」。そしてもう一つ「烏帽子折」です。 さて、熊坂長範とは、何者なのでしょう? 石川五右衛門とともに古来有名な伝説的大盗賊ですが、どの史書にも名前は登場しません。 牛若丸が賊を討ち取った話は「義経記」(室町時代初期から中期頃に成立した軍記物語。 源義経の一代記)にありますが、それは近江の鏡の宿でのことで、賊の名も、藤沢入道と 由利太郎とのこと。 ですから、熊坂長範はおそらく謡曲作者の創作の人物で実在はしないものと思われます。 では、なぜ、架空の人物「熊坂長範」であり、「赤坂」が舞台になったのでしょうか? ここからは私の想像のおはなしです。 わたくし、考えますに、 この謡曲の作者は「牛若丸はすごかった!」ということを表現したかった。 牛若丸が秀でた勇ましい武者であったというエピソードが作りたかったわけです。 そのために敵役をどうするか。 たとえば、頼光は大江山の鬼や土蜘蛛を、頼経は鵺を退治しました。 牛若丸も鬼退治? なんか違う、彼らとは違うのです。歴史上の偉人というだけでなくて、もっと身近で生身。おもわず声援をおくりたくなる好青年。等身大のヒーロー。 だから、昔話っぽくないように、当世風(謡曲作成の時代)の現実にありそうな敵を 相手にしょう、と考えたのではないでしょうか。 しかし、実在の人物の中では、しっくりくる者がいない。作者は考えた挙句、日本中より腕利きの賊70余人を集合させ統率できた大盗賊「熊坂長範」なる人物を創作したのではないでしょうか。敵は大勢にして大物であればあるほど物語は盛り上がりますしね。 さらに、そんな大盗賊を登場させる舞台として近江・鏡はあまりに都から近すぎる、と考えたのではないでしょうか。都の中央政府の目の届きにくい、権力の及びにくい地の方が、得体の知れない恐ろしい者が出現してもいいように思えます。 それに牛若丸が戦う舞台が都から離れているほうが、彼の健気さや孤独さが引き立ちます。逆境を乗り越えて旅をしているという悲劇性も増しますからね。 そういうことで、東海道と中山道の交わる要所、美濃国西部地方を選びました。 ここなら都からある程度遠いし、人の往来が多いから盗賊が現れやすい。 それに、平治の乱に敗れた父・源義朝が逃れた地でもありました。「赤坂」の隣の宿地 「青墓」では兄・朝長が命を落としています。源氏にとって悲劇の地。 だからこそ、その地で、牛若丸を大活躍させたくなった・・・のではないでしょうか。 しかし、ここまで架空の物語をつくってしまった負い目?でしょうか、子方としてさえ 牛若丸は登場しませんね。気が引けたのかな(笑) あるいは、熊坂長範ごときの敵では勿体なくて牛若丸は登場させられない、それくらい 最愛・最強のヒーローなのだよ、ということでしょうか? 真実をご存知の方、ぜひ教えてくださいませ!! (文責 映) |