今月の特集曲

「小鍛治」の舞台
能「小鍛治」はこの名工が伏見・稲荷の明神の加護で一条帝から頼まれた剣を無事に打ち上げる霊験譚です。
 名工・名人にはとかく伝説がついてまわります。室町期の『尺素往来(せきそおうらい)』のなかで「一代聞達者」とうたわれた刀工、三条小鍛治宗近にも伝説が多いのです。

 ワキとして登場の小鍛治宗近は実在の名工で(「小鍛治宗近は一条院の御宇の人となり、一条院御宇四剣に入り…天慶元年生まれ、長和三年死す、77歳」)、刀身の焼入れに稲荷山の赤土を使っていたとの伝説があり、これから発想された能でしょう。
 また一説に、「橘平太仲宗といい、藤原兼家に仕えた。ふとした事件から薩摩に流され、刀工正国の弟子になり、永作元年(989)年に帰洛して三条に住んだ」とあります。
 不明なところは多いのですが、宗近の名を高らしめているのは、能であり、祇園祭の山鉾巡行の先頭をきる長刀鉾の長刀を打ったという伝説に負うところが大きいようです。

 粟田口には、宗近が稲荷明神の合槌を得て剣を打った感謝から勧請して建てた祠があります。三条通を神宮道から東に入った北側の路地の奥です。表に合槌稲荷の石標があって、参道は門のように朱の鳥居がトンネルをつくっていますけれども、入り口は狭く、よほど気をつけて通らないと見過ごしてしまうほどです。
 頭上に物干しが跨ぐ路地のなかに小さなお宮があり、つかわせしめの狐が守っています。
 小鍛治宗近の旧跡を伝える碑はまた、仏光寺本廟内に残っています。旧宅は仏光寺の西隣にあったとも伝えられています。

(文責:N)
「小鍛治」に使われる装束・作り物
装束・面

 前シテ:童子又は慈童、黒頭
    紅入縫箔<いろいりぬいはく>
      (繻子地に箔を置き、絹色糸で刺繍を施した物。
       唐織に次ぐ華やかな装束)
    水衣<みずごろも>
      (薄い絹糸で作られた広袖の上着。長襦袢に似て丈は膝ぐらいまで。)

 後シテ:小飛出、赤頭
    紅入段厚板<いろいりだんあついた>
      (厚い織物という意味で名付けられた、主に男役の小袖。)
    半切<はんぎれ>
      (下半身につける袴の類。金襴緞子など華やかな模様が織られている。)
    法被<はっぴ>
      (広袖の上着。前身頃と後身頃は離れているが、すそだけ二寸ほど
       つないであるのが特徴。単衣と袷があり、鬼畜や強い者は袷を用いる。)

 さて能装束には「表着」といい、羽織ったり、被ったりする上着のようなものと、その表着の下につける「着付」(ただし肌着とは違う)「袴」「帯」などがあります。上記の水衣、法被や、唐織、狩衣、長絹などが表着、厚板、縫箔や摺箔が着付にあたります。

小物・作り物

 輪冠<わかんむり>狐載:銀冠に銀狐を立てて、後シテの頭にのせます。
 注連<しめ>結一畳台:注連縄をはった一畳台が、鍛冶場として中入後に登場。
               鎚と刀身をのせて正先に据えます。

 人気曲で上演回数も多く、様々な演出も楽しみなところです。主な小書として、
    白頭(観世・宝生・金春・金剛・喜多)
    白式(観世)
    黒頭(観世)
    重キ黒頭(観世)
があります。
 観世流の「白頭」は、白髪が老体を表現するように年を経ており神通力を得た狐、「黒頭」はさらに位が重く、霊狐のごとく演じられるそうです。
 緩急の激しい所作が、いずれも見所となります。

(文責:映)

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