使用する面 |
能面-増女のつぶやき 私は、どちらなのかしら。女?神? 少ぉし気もちがゆらぎます。まぁ、いずれにしても私は私。どこにあっても、どんな装束であろうとも。 まぁ、今日は『胡蝶』ですね。切ない気もちになってしまうから、女としての私に近寄ってみようかしら。梅花にあこがれてしまう妖精という存在も、とても不思議です。気高さよりも愛らしさで、せまってもようかしら。 あ、こういうことを考えている時間が大好き。ちょっと年かさだけれど、夢みる気もちを忘れられないところが、私の持ち味なのでしょう。あちこちで忙しいけれど、その度に私はいろいろな自分に出逢える。 生まれ変わったら、生身の女優になってみたいものです。 (小梅) |
元になった和歌 |
今回は、 「花園の胡蝶をさへや下草に秋まつ虫は疎く見るらむ」 (源氏物語 胡蝶) 「こてふにも誘はれなまし心ありて八重山吹を隔てざりせば」(同 上) を取り上げてみたいと思います。 古事記の昔より、雅な人々の間で「春秋争い」という遊びが繰り広げられてきました。 それぞれが自分の好みを様々の理由とともに述べて、風流な雰囲気を楽しむ遊びです。 なので、勝負もつかなくてもよいのですが。。。 源氏物語では、紫の上と梅壷の中宮(秋好中宮)の間で行われます。 源氏の君の六条院が完成し、秋の彼岸を過ぎた頃に、大体の住人達は引越しをしてきます。 このお邸は、六条京極辺り、そう六条の御息所のお邸があったところを含む周辺の四町ほ どの敷地に造営された大邸宅です。 西南は中宮、東南は源氏の君と紫の上、東北は花散里、西北は明石と、源氏に縁の深い人々が共に暮らすためのお邸でした。 それぞれの女人の好みに合うように、庭園もしつらえてあり、中宮のお庭には秋の風情、紫の上のお庭には春の風情が色濃く出るようにしてありました。 さて、「春秋争い」をしかけたのは、中宮でその秋の頃紫の上に歌を送りました。 「心から春待つ園はわが宿の紅葉を風のつてにだに見よ」 (源氏物語 少女) という歌です。 「春待つ園」の主人紫の上は、 「風に散る紅葉はかろし春の色を岩根の松にかけてこそ見め」(同 上) と応じますが、源氏の君に勧められて、真のお返事は、春の盛りの頃にすることにしました。 そのお返事の歌というのが、「花園の」の歌です。 それにしても、六条院という所はどんな風になってるのでしょうねえ。。。 とにかく春の景色はすごいらしい。 中宮、紫の上のお二方のお住いの間には、築山がありますが、お池はつながっています。 そのお池の舟遊びにて、(中宮自身はその身分の高さ故、参加できなかったのですが、)女房の何人かは春のお庭のお花見を楽しみました。 翌日の中宮主宰の読経会の折、紫の上の供養の志として、源氏がお花と(謡曲「胡蝶」にもある様に)女童達による迦陵頻、胡蝶楽などを納めました。 その折に「花園の」歌は贈られたことになっています。 春の花園に舞い飛ぶ胡蝶をも、下草に秋を待つ松虫はつまらなく思われるのでしょうか? (いえ、そんな風にはお思いになれないはずですわ。すごいんだから。) という勝利宣言です。 謡曲「胡蝶」では、中入り前に登場します。 胡蝶の登場する美しい場面を想像させる効果のついでに、 「待つ」という状況、(下草に潜み秋を待つというのと、人目稀なる木の下に胡蝶を待つ)も巧くうたい込まれていると思います。 してやられてしまった中宮のお返しの歌が、「こてふにも」です。 この歌には、「昨日は、音に泣きぬべくこそは」という言葉が添えられています。 もしそちらの方で八重山吹の隔てをお作りにならなければ、おいでなさいという胡蝶に誘われて参上するところでしたのに、(お花見に伺えず泣き出しそうでしたわ。) と紫の上を恨むポーズを取り敗北を認めています。 謡曲「胡蝶」では、再び現われた胡蝶の精が、梅の花に飛び翔ったところで登場します。 「隔て」という言葉がきいています。 さて、源氏の「春秋争い」は中宮という身分の人が紫の上を立てた形で終わっています。 藤壺亡き後の源氏世界において紫の上が確固たる地位を得たことを示すことになるそうです。 (文責 雲井カルガモ) |