今月の特集曲

「胡蝶」の舞台
舞台は京都の一条大宮。
梅に縁のない胡蝶の精が梅に戯れる喜びを舞いながら、霞に紛れて消えていきます。

京都の梅の名所といえば、「北野天満宮」が有名ですね。
境内には50種、約2000本が植えられていて、心地良い香りが漂います。
境内の梅の約半数は梅苑(入苑料500円、茶菓子付10時〜16時)にあります。
また23日〜25日は境内がライトアップされ、梅の花と神殿が早春の夜に浮かび上がります。

今年はぜひ梅を見に行って、胡蝶に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

(文責:麗華)
「胡蝶」と草木成佛論
 能のストーリーには僧の読経によって主人公が苦しみから解放されたり、執心が晴れて成佛したり、消え去ったりするものが多くあります。その場合特に主人公が人間ではなく、杜若や胡蝶など無心の存在である時、現実離れしていて如何にも風雅で能楽らしい面白さが感じられるように思います。

 「草木だにも法華の利益をこうむれば同じく成佛する」という『草木國土悉皆成佛』は、法華経・薬草喩品の「三草二木等しく一雨に浴する」が根拠とされていますが、元来この経文は草木成佛を説いたものではなく、天台教義にはない考えだそう。おそらくは謡曲成立時の民間信仰や他の一切衆生を説く教典の影響、または仏教不思議利益により生じたと考えられていますが、草木成佛をテーマとした謡曲の多さから、当時はかなり喜ばれた思想であったと想像できます。

 『胡蝶』における「眞は我は人間にあらず」や「人とはいかで夕暮れに」などの語句はなんともいじらしく、健気であって、人間とそれ以外の生物という分け方や人間は特別な存在であるという考えがつまらなく感じられます。人間も自然の一部分にすぎないことを昔の人はどこか気付いていたのではないでしょうか。

(文責:映)

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