金札宮 京都市伏見区鷹匠町 |
社 格:旧村社 御祭神:本社 天太玉命(あめのふとたまのみこと) 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 末社 御祭神不明 由緒等 天平勝宝2年(750年)に創建といわれ、清和天皇の御代、橘良基が阿波国より勧請したものとも伝えられています。 本来は久米村の産土神で、御祭神は天太玉命(白菊翁)、天照大神、倉稲魂神です。 この金札宮の社殿造営に伴う奇譚が、能楽「金札」です。 また縁起には、「伏見の久米の里の白菊の翁という老人が、毎年秋になると白菊に水をやり育てていた。ある年、干天が続き稲が枯れかかった時、翁が白菊の露を注ぐとたちまちそこから清水が湧き出た」とあります。この翁こそ天太玉命です。 このことから「金札宮の神=伏見の地主神」であり、霊水信仰と王城鎮護の神徳を兼ねていたことがうかがわれます。 御祭神について 天照大御神(あまてらすおおみかみ)はよく知られていますので、ここでは天太玉命(あめのふとたまのみこと)と倉稲魂命(うかのみたまのみこと)についてとりあげます。 天太玉命(あめのふとたまのみこと) 別名、布刀玉命(ふとだまのみこと)といい、天の岩戸の前に集まる神の一柱で、天の岩戸神話に出てくる神様です。 『古事記』では、天照大神が天の岩戸に隠れたとき、鹿卜をし、八尺の匂璁、八咫の鏡、白和幣(しらにぎて)・青和幣を付けた賢木を太御幣(ふとみてぐら)として手に取り持ち、天児屋命(あめのこやねのみこと)が祝詞を奉唱して大神の出現を祈願し、それに成功した、と記されています。 また『日本書紀』には、この神を天太玉命とし、忌部の遠祖であると書かれています。これは御幣、すなわち太玉串を捧げた神であることから、この名前が出てきたものと思われます。 のちに、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に際して、王伴緒神の一人として随伴したとも伝えられています。 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うがのみたまのみこと)と記されています。 『古事記』では、スサノオとカムオオイチヒメ(オオヤマツミの娘)との間に生まれた髪で、大年神などとともに穀物神とされています。また『日本書紀』では、イザナギとイザナミの神生みの時に「飢えて気力がないときに生まれた神」とされています。 宇迦は食(うけ)と同じく食物の意味があり、「ウカノミタマ=稲魂」そのものといえるでしょう。 「延喜式大殿祭祝詞」の中に「是れ稲の霊なり」とあるので、稲の精霊であると考えられていたようです。またこの名前から稲荷神社の祭神となっているところも多いです。 『古事記』『日本書紀』ともに名前が出て来るだけで事績の記述や性別がわかるような記述もないため、男神とも女神ともされています。(ちなみに、稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社では、女神としています。) (文責:とりあ) |