元になった話 〜岩橋説話〜 |
『今昔物語』巻十一 役優婆塞誦持呪駈鬼神語第三 より 金峰山の蔵王菩薩は、この優婆塞(=役行者)が祈った結果、生じなさった菩薩である。そこで、つねに葛城山と金峰山との間を通っておられた。そのため、優婆塞は多くの鬼神を召し集め「わしが葛城山から金峰山に参る橋を作ってかけよ。わしの通う道としよう」と命じた。鬼神たちはこれを承って嘆いたが、優婆塞は許さない。さらに「作れ」と責め立てるので、鬼神たちはすっかり困惑した。かといって、優婆塞の強い督促にはどうしようもなく、鬼神たちは大石を運び集め、準備を整えて橋をかけはじめた。その時、鬼神たちは優婆塞に向かい「わたしたちはひどく醜い姿をしています。それで、夜ごとにこっそりこの橋をかけたいと思います。」と言って、夜ごとに急いで作っていた。すると、優婆塞は葛城の一言主の神を呼び「おまえはいったい何の恥があって姿を隠すのか」ととがめた。「そう言われるのなら、とても橋は作れません」と一言主の神が言うと、優婆塞は怒って呪によって縛り上げ、谷の底に置いた。 一言主の神は、雄略天皇をも圧倒したと伝えられているほどの荒々しい男の神ですが、能楽では女神になっています。これは「大和舞」を舞うため、といわれています。 しかし、『枕草子』には、宮仕えを始めたばかりの清少納言が夜明けになるとそわそわと帰り支度を始めたので、中宮定子が「葛城の神もしばし」とからかった、という話(184段)や和泉式部と帥の宮との贈答歌で、和泉式部を葛城の神に、帥の宮を役の行者に、それぞれなぞらえている(『和泉式部日記』)ことから、葛城の神は女神である、という伝承が古くからあったのかもしれませんね。 |
役行者 |
7世紀後半の山岳修行者。本名は役小角(えんのおづぬ)。役優婆塞(えんのうばそく)ともいう。日本の山岳宗教である修験道の開祖として崇拝されていた。いろいろな奇跡が伝えられているので、実在の人物かどうか、と言われているが、『続日本紀』に、伊豆島に流罪された記事(文武天皇3年(699)5月24日条)があるので、実在したことはまちがいない。 多くの伝記を総合すれば、大和国葛上郡茅原郷に生まれ、葛城山(金剛山)に入り、山岳修行しながら葛城鴨神社に奉仕した。やがて陰陽道神仙術と密教を日本固有の山岳宗教に取り入れて独自の修験道を確立し、吉野の金峰山や大峰山など多くの山を開いた。 しかし、保守的な神道側から誣告されて、伊豆大島に流された。この経緯が葛城山神の使役や呪縛として伝えられている。 |
おまけ@ 役行者山 |
祇園祭の山に、役行者山というのがあります。 御神体は役行者と一言主神、葛城神の3体で、修験道の創始者である役行者が、一言主神をはじめ多くの鬼神を使って、葛城山と大峰山の間に橋をかけたという伝承が主題になっています。 中央に、役行者が経巻や錫杖を持って座り、女性の葛城神は台つきの輪宝を、一言主神は奇怪な鬼の姿で赤熊をかぶり、斧を持っています。また役行者は山洞に入っていて、2体の神の上には朱傘があります。傘2本を載いているのは、祇園祭の山鉾の中ではこの山だけです。 |
おまけA |
2010年は平城遷都1300年祭が奈良で行われています。 それに伴い、「『役行者』不思議の世界」と称して、2010年5月〜10月にかけて、大和高田市や御所市でさまざまな行事が行われます。 能楽「葛城」もあるので、興味のある方は行ってみてはいかがでしょうか。 (文責:とりあ) |