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四番目物 季節:10月 作者:不明 場所:中国 秦の国の都、咸陽 素材:「平家物語」5 咸陽宮 |
シテ:始皇帝 ツレ:花陽夫人 ツレ:侍女 ワキ:荊軻 ワキツレ:秦舞陽 ワキツレ:大臣 |
秦の始皇帝はかねてより 「燕の国の地図と叛将の樊於期(はんおき)の首を持参した者には、何事であれ望みを叶える」 という宣旨を出していました。 このチャンスを利用して、始皇帝を討とうと考えた燕国の荊軻(けいあ)と秦舞陽(しんぶよう)は 「恩賞のかけられている品を持参した」 と言って、咸陽宮にやってきたのでした。 参内を許された2人は、慣例に従って佩剣を官人に預け、始皇帝の前に進み出て、まず秦舞陽が樊於期の首を献上します。 続いて荊軻も地図の箱を捧げます。 この時、始皇帝は箱の底に隠してあった剣の光に気づいて逃げようとしますが、捕らえられてしまいました。 剣を突きつけられた皇帝は 「今生の名残に、花陽夫人の琴の音を聞きたい」 と所望し、荊軻はこれを許します。 花陽夫人は「七尺の屏風は、躍らば越えつべし」と琴の歌詞に託して、脱出する手立てを知らせます。 それを聞いた皇帝は、琴の音に酔いしれている2人の隙を窺い、袖を引きちぎって屏風を乗り越えて逃げることができました。 荊軻はあわてて剣を投げつけましたが、柱にあたり、皇帝を討ち取ることはできず、逆に2人は討ち取られ、秦の御代は栄えたのでした。 |
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『平家物語』にある、燕の太子丹の意を承けた荊軻と秦舞陽が、咸陽宮に赴き始皇帝の謀殺を図る、というお話が元になっています。 …というか、そのままですが。(-_-;) ちなみに『平家物語』の話の最後には、次のように書かれています。 「されば今の頼朝も、さこそはあらんずらめ」と、色代申す人々もありけるとかや。 つまり 「だから、現代の頼朝も、それと同じようなものでしょう」と、平氏にお世辞などを言う人々もあったということでした。 まあ、この時の平家側の認識としては「頼朝?、あ、関東に流罪にした源氏の嫡男か。反乱を起こしてもすぐに討たれてしまうだろうな。」という感じだったんでしょうね。(^^;) (文責:とりあ) |