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『鉄輪』と『葵上』〜面について〜 鬼となった『鉄輪』の後シテは「橋姫」の面で登場する。 「橋姫」は眉間にしわを寄せ、目をかっと見開いている。 本当に恐ろしい異様な形相をしているが、そこには角も牙もない。 それは激しい怒りに暗く歪んだ人間の顔である。 それに対し、六条御息所の生霊は「般若」の面を付ける。 般若の面には二本の長い角が突き出し、目は異常に開かれ、大きく開かれた口は耳のあたりまで裂けている。口には上下二対の牙さえ生えている。 頭部にわずかに描かれた髪と額の眉墨によって、女であることがわかるものの、人間の顔とは言いがたい。 「橋姫」は、その激しさにおいては狂気に近いような気もするが、やはり狂気とは区別されるべき憤怒を表しているように思う。 「般若」の面にはいっさいの理性、文化から疎外された異形の者としての狂気を表すものだとすれば、『葵上』の怨霊も、『鉄輪』の悪鬼も、人を取り殺そうとする激しい憎悪の権化であることにはちがいない。 しかし、その内面の性格はまったく異なるものである。 『鉄輪』はもともと「般若」の能であったといわれている。 時の流れのなかで、集団的無意識によって、その不適切さが認識されていき、「橋姫」を使うようになっていたのであろう。 「夫を託ち、ある時は恋しく、または恨めしく」というきわめて「理性的」な独白をするこの『鉄輪』の鬼は、やはり「般若」ではなく「橋姫」の方がふさわしい。 (文責:N) |