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京都市の東部を流れる賀茂川。その上流に二つの神社があります。 北区上賀茂町の上賀茂神社(賀茂別雷神社) 上京区下鴨の下鴨神社(賀茂御祖神社) 賀茂神社といえば、鴨氏なのだ。 鴨氏は南海より紀伊を通り葛城に入った水稲農耕の種族。葛城族と融合して力を伸ばしたとされている。奈良県御所市にある鴨都波神社は鴨族の本拠地であり、全国的に分布する鴨(賀茂)社の源となっている。 鴨氏はその後、葛城から木津川沿いに山城の国にやってきて根を下ろした。そしてその地に賀茂川の守り神、ひいては山城国の守護神として、先祖の賀茂建角身命(たけつぬみのみこと)とその娘の玉依姫命(たまよりひめみこと)を祀る下鴨神社をつくった。 (建角身命は神武天皇東征の際、熊野から大和への難路を先導したといわれている) 玉依姫命はある時、賀茂川で丹塗の矢を拾い、枕元においておいたところ、懐妊して別雷命を出生したという。 (謡曲「賀茂」では矢が別雷神となったように書いていますが、誤りです。生まれた男の子が別雷命です。) そして、別雷命は賀茂川上流の雷神信仰に由来した水の神・農耕の神として上賀茂神社の祭神として祀られています。 丹塗の矢ですが、実は火雷神でして(ただの矢じゃないよ!)、松尾大社(京都市右京区)の祭神・大山咋命であります。松尾大社は帰化系の秦氏の氏神ですから、この一連の伝説は鴨氏と秦氏の提携を示すものといわれています。 ところで794年、桓武天皇の平安遷都により、この賀茂神社の神は王城鎮護の神とされ、社格がぐーんとアップした。もともと農耕の祭りであった賀茂祭は王朝の祭になったのだ。 そう、「葵祭」です! 葵祭の名は祭りの参加者や牛馬を新鮮なアオイで清め飾るところからついている。 今も5月15日におこなわれています。 (文責 映) |