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平城天皇の孫という高貴な生まれながら、幼少期から青年期にかけての多感な時期には、父阿保親王が藤原家の権勢拡大期の政争に巻き込まれ、成人後は、業平自身も従四位上行右近衛権中将兼美濃権守に終わり、公卿に列することさえなかった。 『三代実録』天慶四年(八八〇)五月二十八日の条 在原業平卒伝 「業平体貌閑麗、放縦不拘、略無才学、善作倭歌」 正史にまで、その美貌を称えられ、和歌の才能を認められることは、史上稀で特異あるが、翻って、その政治的・社会的に不遇に終わったことの証左でもある。 二条后や斎宮とのタブーの恋をはじめとする数々の恋物語には、危険と社会に対する背徳の中にしか人生を見出せなかった屈折した思いもあったであろうし、それ故にこそ和歌に命が宿っているのかもしれない。 |
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従四位下周防権守紀有常の娘である。夫業平と父有常は、十歳年の離れた(有常が上)友人同士である。 紀家は、紀静子が文徳天皇の後宮に上がる程の名家であるが、藤原家の前には不遇の家であった。 なお、業平との恋物語となった伊勢の斎宮恬子内親王は、静子の娘で、有常の娘の従姉妹にあたる。 |
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『伊勢物語』十九段は、『古今集』からも、業平と有常の娘を主人公とした物語であるとされている。 『井筒』とは全く異なる業平と有常の娘の姿が描かれている。 |
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(文責:めぐ) |