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作者は、世阿弥元清。 三番目物大小序の舞、面は前・後シテ通して同面使用の場合が多い。 観世は「若女」、宝生は「増女」、金春・喜多は「小面」、金剛は「孫次郎」。時には「深井」 を使用する場合もある。 世阿弥自らも、『申楽談儀』の中で、“上花也”と記すように、夢幻能の傑作であり、能楽屈指の名曲である。 『井筒』は、『伊勢物語』四段・十七段・二十三段・二十四段に描かれている主人公不確定の物語を、在原業平と紀有常の娘とを主人公に置き換えて、それを素材にした演目である。 即ち、『井筒』では、「井筒の女」、「人待つ女」を「有常の娘」一人に集約し、対する男も「業平」一人に集約している。 元々、『伊勢物語』は、最少限度の必要事項のみを簡素な言葉とメインの和歌とで構成されている「雅」のハウツー本であるが、『井筒』では、それを一層、象徴的・普遍的な「恋の物語」へと昇華させている。 『井筒』の主題は、恋愛の普遍性、永遠性、そして、その本質をも見つめることにある。 若い頃は、その純粋無垢な恋に憧れ、年を経ると共にその様な恋を懐かしむのである。 |
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セレブでイケメン、そして多情な幼馴染の男との恋を貫いた結構ハッピーだった女をシテにする演目で、ここには、シンデレラストーリや「ロミオとジュリエット」のような悲劇、嫉妬に狂う劇的な話は無い。 尤も、何かあれば、あの世から現れるから成仏したとは言い切れず、やっぱり思うところはあったのであろう。 しかし、一人の人を一生思い続けた持続力と自我を抑えつづけた強さと賢さは、見事である。 それ故に、静かで穏やかに過ぎ行くのである。 |
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(文責:めぐ) |