金春禅鳳(1454−1530?) |
室町後期の能役者、能作者。シテ方金春流の大夫。 当時を代表する能役者であったとともに、能作者、能楽論の著者としても知られています。 将軍足利義稙の後援を受けていた観世座に対抗して、奈良の衆徒の後援を受けて奈良に勢力を伸ばし、京都に進出して1505年(永正2)には、粟田口の勧進能などを行っています。 その後、出家して禅鳳を名乗り、嫡男の七郎氏昭に大夫職を譲って隠居します。 隠居後は、京の戦乱を避けて、後援者でもあった大内氏を頼り西国で晩年を過ごしたとも言われていますが、はっきりとはわかっていません。 著書に『毛端私珍抄(もうたんしちんしょう)』『反故裏之書(ほごうらのしょ)』、芸談に『禅鳳雑談(ぞうたん)』などがあり、演出の実態を伝える貴重な資料となっています。 |
金春禅鳳の作品について |
金春禅鳳の作品は、「異色の能」とも言われています。 世阿弥や金春禅竹の作品に見られる幽玄の世界、というよりは、華やかで、見た目にもわかりやすいものになっています。 金春禅鳳の作品としては「嵐山」「生田敦盛」「東方朔」「一角仙人」などがあり、構想や演出の形式に工夫があり、素材を生かした比較的短い作品や子方が出てくる作品が多いのが特徴と言えるでしょう。 (文責:とりあ) |
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