今月の特集曲

元になった和歌について

 今回は、シテが帝の御幸に巡り会い、クルヒの状態に入る前に謡われるシテ謡「陸奥の〜」から地にかけてに引かれている2首に注目してみたいと思います。
 まず、シテ謡に引かれている元和歌について。

『古今和歌集』巻十四 恋歌四
題・読人不知
677 陸奥の 安積の沼の 花がつみ かつみる人に 恋ひやわたらむ

 この歌は、確か恋歌四の冒頭に配置されていたように思うが、皆様ご存じの通り、古今集はその歌の配置の仕方というか…組まれ方が、万葉集とは大きく異なる。
 例えば「春」の歌なら、雪がとけるかとけないか、頃の歌に始まり、季節の深まる様子が肌で感じられるように、選ばれた歌の歌われたであろう時期に合わせて歌が置かれている。恋歌についても同じで、まだ姿も知らない人へのときめき(当時は普通のことである)の歌から一目見てしまった段階、などを経て、恋愛の譲受するまでの苦しみ、葛藤する段階、思いがかなって人生の春を歌い上げる段階、関係の安定が逆にもたらす普請とか淋しさ、そしてすれ違いや相手や自分の心変わりを悲しむ段階、恋の終わった直後、過ぎた恋をふりかえって、など、恋愛の信仰に合わせた組み方となっている。
 それで、先にあげた歌はどこに置かれているか…、ということもこの歌の解釈にいろどりを添えてくれるのである。この歌は「恋歌四」の冒頭にある。
 「恋歌四」は三に続いて「逢う恋」の歌ではじまる。が、一度逢ってしまった恋の激しさ、めったに会えないことへの嘆き、会えない時間のもたらす破局の予感などを謡う段階の恋の歌が配列されている。一部配列に混乱も見られるようだが、巻四の最後は再開を誓う形見が主題とされた歌であるらしい。

 さて話を元和歌に戻そう。この歌は「陸奥の安積の沼に花がつみ(諸説あるが、野生の花しょうぶの類かな)が美しい花を咲かせる頃になった。私はこの花のような彼女に出会った。彼女のことをいつまでも恋い続けるに違いない。」という気持ちで歌われた。少し安定した頃の「逢う恋」の歌である。

 次にもう一つの元和歌、シテ謡に続く地謡に引かれている歌である。百人一首でもおなじみ、源融の「しのぶもぢずり」の歌である。

『古今和歌集』巻十四 恋歌四
河原左大臣
724 陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れむと思ふ 我ならなくに

 陸奥の信夫(しのぶ)で産する「しのぶもじずり」の模様のように、あなた以外の誰にも心を乱さない私なのに…。という感じの気持ちを歌った歌である。融の大臣も、この歌のことも皆様よくご存じなので、この歌自体の解釈をすることはここでは遠慮しておこう。が、言いたいことが一つだけ…。
 お気づきの通り、この歌も『古今和歌集』巻十四 恋歌四 の中にある。それも先の花がつみの歌から47首ほど後ろのところに配列されて…。
 このこと、皆様どうお感じになります?

 一度逢って、安定した恋愛の幸せにさすかげりをこの元和歌2首は、その歌自身のこころからも、また『古今和歌集』という歌集の持つ特色からも、実に多くの心情を伝えてくれる、照日の前の恋慕の代弁者だったと思います。
 この元和歌二つを引いた世阿弥さんの演出力に、またまた、たじたじの雲井でした。

(文責 雲井カルガモ)


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