今月の特集曲


 「半蔀」の舞台

 前場は京都市紫野の雲林院で、後場は五条あたり←(京都市下京区堺町通り夕顔町)です。

 雲林院については「謡曲拾葉抄」に、
 ‘大徳寺の東南うぢゐと云所旧跡也‘
 ‘花鳥余情云、雲林院は今の大徳寺也‘
とありますが、現在は船岡山のほとり、北区北大路下ル大宮通りの紫野雲林院町に小さなお堂が残っています。

(文責:麗華)


 「半蔀」の装束

前場は、前場は着付けに金の織箔または摺箔を、上着に唐織を使用することが多く、
後場は、上着に長絹を、袴に大口を使用するのが一般的です。

(文責:麗華)


 「半蔀」に使われる作り物・小道具

 半蔀とは、下半分は格子または鰆板(はたいた)などで、上半分だけ戸を外側へ上げるようにした、古代建築における窓のようなものです。

 「上は半蔀四、五間ばかり上げわたして、簾などもいと白う涼しげなるに、をかしき額つき透影(すきかげ)あまた見えてのぞく。(中略) 門は蔀のやうなる押し上げたる、見入れのほどなくものはかなき住まひを」(源氏物語:夕顔)をイメージした作り物・半蔀屋。

 三尺(約1メートル)四方の竹の輪(台輪といいます)に四柱を立てて小屋とし、掲ぐ半蔀の一端を竿で突き上げて、全体には造花の夕顔や蔦や瓢箪(夕顔と瓢箪は同類の植物だからでしょうか。「瓢箪屡々空し。草顔淵が巷に滋し」とうけて。)で美しく飾りがなされます。
 金剛流ではこの上に藁屋根をつけて完成となります。

 据える位置は観世流では常座ですが、流儀によって大小前や一ノ松のあたりということもあるようです。また「立花供養」の小書では、ワキの名宣の前に立花を正先に据え、アイの語りの後にこの立花をかたづけるという所作が加わります。

(文責:映)

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