使用する面 |
能面 − 増女(ぞうのおんな)のつぶやき 天女といえば、私、増。 女神といえば、やはり私、増。 私は女というよりは、神に近い、あるいは、そのものと言えることもあるかも・・・。 とても若いとはいえないし、品がそなわってしまっているせいで、冷たく見えてしまうのが玉にきず。けれど私は、そのようなことは気にならないタイプ。やりたいようにしかできませんもの。気にならないというより、周りのことを気にすることが出来ないだけかもしれません。 自分の中では、なんと表現したら良いかしら、丸みの少ない?骨格がお気に入り。 最近気になることは、ファッション。私がもし、洋服などに袖も通すようなことがあるとしたら・・・パステルトーンのフリルは選ばないでしょう。モノトーンでシャープなラインのものに、少々憧れがありますの。ジーンズなら、ブーツカットではなくスリムですわ。 想像するのは、自由でしょう。 (小梅) |
元になった和歌 |
今回は、 「春霞たなびきにけり久方の月の桂の花や咲くらん」(紀貫之 後撰集) を取り上げてみたいと思います。 この歌の作者紀貫之(きのつらゆき)は、三十六歌仙のひとり。 今更私が紹介すべくもない、超売れっ子歌人でした。 数多くの歌合に作歌、また頼まれて屏風歌などにも多く歌を残しています。 ご存知「土佐日記」の作者でもあります。 わが国初の勅撰和歌集「古今和歌集」の編纂の勅をうけ、特に従兄の紀友則の没後はその中心となリ活躍したようです。(貫之の歌は99首入集しています。) 「古今和歌集」の貫之が書いた「仮名序」にこのような言葉があります。 (この言葉自身も能の謡いに引かれていると思いますが。) 「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をもやはらげ、猛きもののふの心をも慰むるは歌なり」 その通りだと思います。 感性と感性をダイレクトにむすんで行くコミュニケーション手段、和歌。 それゆえ、お能も古歌を引いているのよね。。。 さて、上記の歌ですが、「春霞がたなびいている。まるで、月にあると聞く桂の木が花を咲かせたようである。」という感じ? 春の日の晴れやかな、おおらかな風景が心に浮かんできます。春霞を月にある桂の木の花にたとえたりするところが、とても素敵だなあと思います。霞の一つ一つの粒子までもが見える様な透明感があり、それでいてスケールが大きくて。 「羽衣」では、クセの冒頭で登場します。月の住人である天女が三保の松原の美しさを語る言葉としてはもってこい。 また、羽衣を返してもらって月に帰れるという、天女の晴れ晴れした胸のうちも同時に伝えてくれる歌です。 全く私的な立場から一言。 私が「羽衣」を見る際、この「たなびく春霞」が、静止した状態の「天女の羽衣」を思わせて、この後青空にはためく美しい羽衣のイメージを誘導してくれるような気がします。 清らかで晴れやかなお能「羽衣」には、ぴったりの一首です。 (文責 雲井カルガモ) |