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能面三日月のつぶやき 前シテ 若女 後シテ 三日月 三日月の名の由縁は、とある面打師のつくったものに三日月の刻印があることにある。 この度は平知盛。かなりあばれようぞ。怨霊とはいえ、名だたる武者。「鵺」の化身の舟人とはまた、違った趣である。ヒトではなくなった、しかし知盛氏の益荒男ぶりを、霊として見せたいものだのう。 (小梅) |
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今回は ただ頼め しめぢが原の させも草 われ世の中に あらむ限りは(『沙石集』) をとりあげます。 元々は 清水の観音の御歌となむいひ伝えたる なほ頼め しめぢが原の さしも草 われ世の中に あらん限りは (『新古今和歌集』巻二十 釈教) となっていて、時がたつにつれて「なほ頼め」から「ただ頼め」に変わっていったものと思われます。 新古今の釈教の部分は、基本的には仏教思想の内容を歌ったものが多く、この歌は一番初めに置かれています。 意味としては たとえ、しめじが原のもぐさを焼くように、思い悩むことがあっても、私を頼みとしなさい。私がこの世にいる限りは。 という感じでしょうか。 清水寺の本尊、十一面千手観音の託宣歌で、『自分自身を信じてくれる者の願望を叶えよう』という観世音菩薩の誓願となっているのです。 だから謡ではその後に「ご誓願」と続いていくわけです。 後に、この歌から「一切衆生」「人間」を指し示す語とされました。 歌学書の『袋草紙』では もの思ひける女の、はかばかしかるまじくは、死なむと申しけるに、示しける (願いごとを聞き届けてもらえないのなら、死のう、と思いつめている女に対して、示した歌である) となっています。 (文責:とりあ) |