今月の特集曲

 「船弁慶」の舞台
船弁慶といえば、やっぱり義経と静の別れの舞台となった大物の浦ははずせませんね。
大物の浦は、今の大物主神社の境内あたりだそうです。
もともと三角州であった尼崎は海運の要衝で、尼崎城がおかれていましたが、大物もその城下町の1つとして栄えていたようです。
大物の地名の由来にはいろいろな説がありますが、平安時代に港町として栄え、取引された材木の大きさを意味する「大物」からきているという説が有力です。
船出前に義経主従がお詣りした大物主神社は、古くからこの地にあったようです。
水路を下る人々だけでなく、この地を通って大阪湾から瀬戸内海へ船出する人々にとって、この神社は守り神となっていたのでしょう。
大物の浦から船出した義経主従が「無事に船出できますように」と祈念したのは、そういう背景があったのだと思われます。

ちなみに大物で義経と静が別れた、と『船弁慶』ではなっていますが、実際はここではなく、これよりもうちょっと後の吉野山で別れています。

(文責:とりあ)

 「船弁慶」に使われる作り物・小道具
面・装束・小物

前シテは若女(又は深井、小面)、紅入唐織、物着にて静烏帽子を身につけます。
(静烏帽子とは直立した大型の烏帽子の前方を折ってすこし前に曲げた前折烏帽子と同じ形。金地に文様があり、「二人静」「吉野静」「船弁慶」の静御前専用です。)

後シテは三日月(又は淡男、鷹)、黒頭に鍬形をつけて兜を表します。装束は法被に半切。太刀と長刀を持って登場します。

作り物と小書

アイの舟頭が舟の作り物を持って走り出て脇座に置きます。竹で船の骨格をつくり、白い布をまきつけた簡素なものです。
小書は各流、様々あります。ここでは観世流の「前後の替」「重前後之替」について簡単に記します。(演出により異なることがあります)。

「前後の替」
 前シテは中ノ舞ではなく序ノ舞を舞う演出もあり。
 舞の途中で子方を見つめ、シオリをする。
 後シテは半幕で姿を見せます。舞働は省かれ、地謡のうちに揚幕へ退場します。

「重前後之替」
 前シテは盤渉序ノ舞を舞い、舞の途中で一ノ松へ行き、子方を見つめシオリます。
 後シテは半幕で姿を見せ、早笛で登場し、一ノ松に立ちます。
 舞働となってから舞台に入ります。

(文責:映)

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