あらすじ |
私は、諸国をまわっている僧侶です。天王寺参りの途中、淀川下流の江口の里に着き、江口の君の旧跡で、昔、西行法師が詠んだ歌を思い出しているところへ1人の女が現れました。 その女は西行の歌に対する江口の君の返歌とともに、西行に宿を貸さなかった真意を説明し、自分こそ、その江口の君である、といってどこかへ行ってしまいました。 里の者にその話をしたところ、「江口の君は、普賢菩薩の生まれ変わりなので、ここで読経し、奇瑞を見ればいい」と勧められました。 その言葉に従って読経をしていると、月の光の下、江口の君が2人の遊女とともに船に乗って現れました。 江口の君は、衆生の六道輪廻の有様を述べ、人間とはいいながら遊女の身と生まれた罪業を嘆き、この世の無常を説いたあと、舞を舞い始めました。 そのうちに江口の君は普賢菩薩の姿に、船は白い象へと変化して、西の空へと消えていってしまいました。 前半は『新古今集』『撰集抄』などにみられる、江口の里で一夜の宿を断られた西行法師の歌(「世の中を厭ふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな」)を背景に、秋の月影清く照る淀川での遊女の「舟遊び」の有様を描き、後半は『古事談』などにみられる、遊女が普賢菩薩と変じて昇天するまでを描いた曲である。 |
小書き |
干之掛(かんのかかり) 序之舞の特別演出で、五クサリの序のあとに高い干の音から特殊な譜を吹きます。 彩色(いろえ) 序之舞を舞い、「波の立居も何故ぞ」のシテ謡の後にイロエが入ります。 平調返(ひょうちょうがえし) 本来は、序之舞の序のクサリの数が増え、笛に特殊な旋律が入る、という演出をさしていましたが、現在はこの小書きの名のもとに、一曲の習い事を残らず演じることになっています。上演される機会は少ないです。 (文責:とりあ) |