今月の特集曲

梶原源太景季 応保2(1162)年〜 正治2(1200)年

梶原源太景季といえば、宇治川の合戦での佐々木四郎高綱との先陣争いが有名です。

『平家物語』巻第九 宇治川先陣 には次のように書かれています。
佐々木四郎、「此河は西国一の大河ぞや。腹帯ののびて見えそうは。しめ給へ」といはれて梶原さもあらんとや思ひけん。左右の鐙をふみすかし、手綱を馬のゆがみにすて、腹帯をといてぞしめたりける。そのまに佐々木はつっとはせぬいて、河へざっとぞうちいれたる。
梶原たばかれぬとや思ひけん、やがてつづいてうちいれたり。「いかに佐々木殿、高名せうどて不覚し給ふな。水の底には大綱あるらん」といひければ、佐々木太刀をぬき、馬の足にかかりける大綱どもをばふつふつとうちきりうちきりいけずきという世一の馬に乗ったりけり、宇治河はやしといへども、一文字にざっとわたいて、むかへの岸にうちあがる。
梶原が乗ったりけるする墨は河なかよりのため形におしなされて、はるかの下よりうちあげたり。
佐々木鐙ふんばってたちあがり、大音声をあげて名のりけるは、「宇多天皇より九代の後胤、佐々木三郎秀義が四男、佐々木四郎高綱、宇治河の先陣ぞや。われと思わん人々は高綱にくめや」とてをめいてかく。


「腹帯がゆるんでいるぞ」と言って、相手が止まった隙に先に川に乗り入れる佐々木四郎高綱。それを見て「謀られた」とあわてる梶原源太景季。(笑)
ま、言っていることはどちらも間違ってないし、相手を陥れるものではないんですが、タイミングがタイミングだけに、そう思われてもしかたないかも。

先陣を切った者は、一番の功労者として莫大な恩賞と名誉を得られるのですから、2人が必死になるのも無理はありません。
佐々木四郎高綱については、弁が立ち、鮮やかな手綱さばきを見せた、と評価する人と、「腹帯がゆるんでいる」と言って相手が油断した隙をついて川に入る、という小細工を弄したと非難する人にわかれているようです。
さて、これを読んでいるあなたはどう思いますか?


…というわけで、宇治川の先陣争いでは、佐々木四郎高綱に先を越されてしまいましたが、その後の、生田の森の合戦では“箙に梅の花を挿して”出陣することになります。
また生田神社には、梶原源太景季に由来する「箙の梅」と「梶原の井」があります。
生田神社に行かれた時には、探してみてはいかがでしょうか。


(文責:とりあ)

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