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相模国田代の僧尊性(ワキ)は、信濃善光寺の阿弥陀如来から霊夢を授かりました。 『河内国土師寺(道明寺)に菅原道真が大乗経を書写して埋めたところ、その軸から木げん樹が生えてきた。その実を数珠として念仏を百万遍唱えれば、必ず極楽往生できる。』というものでした。 尊性は早速土師寺に行き、そこにいた老宮人(前シテ)に霊夢の次第を語ります。宮人は尊性をその樹に案内し、天神の御本地が救世観音であること、菅公左遷の途中ここにさまざまな神秘を遺されたこと、筑紫配所の生活などについて語り、「天神の使い白大夫の神」である旨を告げ、消え失せました。 その夜、尊性の前に天女(後ツレ)が現れ、天の岩戸の神楽を奏します。本体を現した白大夫の神(後シテ)は、笏拍子をとって楽を奏した後、木げん樹の実をふるい落として尊性に与えます。 浄土往生を願う尊性が、善光寺如来の霊夢に従って、道明寺の天神社を訪れ、往生の証を得る、という構想から、後シテからワキへの木の実の授与は重要な要素となる。現在では扇で実を受け取る型をすることが多いが、古くは作り物の立木に実を付けたり、シテが木をゆすって実際に実を落としていたとも言われている。 また、浄土往生を護る神としての天神信仰や、天神社を勧請した土師寺にまつわるエピソード等が背景となっているため、中世の多様な天神信仰の一端を伺うことができるのも特徴のひとつであろう。 |
![]() 道明寺(大阪府藤井寺市)にある 木げん樹 |
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笏拍子(観世・金剛) 通常は後シテが舞う「楽」の部分のうち、初段までを後ツレが舞う。その間、シテは常座に座り、〔上歌〕の「取るや笏拍子とうとうと」以下二枚の笏を打ち合わせて、ツレの舞の拍子を取る。初段以降は、ツレと入れ替わって舞う。 神楽之伝(観世) 「楽」を「神楽」に変えたような演出で、後ツレが「神楽」を二段舞う間、シテは常座で笏拍子を打ち、三段目以降はツレと入れ替わって舞う。 どちらの小書きも、内容からみて後シテが何らかの形で笏を打つのが本来の形と考えられる。笏の拍子に合わせて舞を舞うのが、この曲の重要な趣向となっている。 (文責 とりあ) |