「敦盛」の舞台 |
能楽「敦盛」の舞台となったのは須磨・一ノ谷(神戸市須磨区一ノ谷町2)です。 敦盛は波打ち際で沖にある平家方の船に乗ろうとしていたところを、熊谷直実に呼び戻され命を落としましたが、敦盛の兄である経正も船に乗ろうとしていたところ、城の四郎高家に呼ばれたが「己を嫌う也」と言ってそのまま行こうとして、怒った高家に追い詰められて自害したところでもあります。 須磨寺(神戸市須磨区須磨寺町4丁目2)には、寺宝として敦盛の「青葉の笛」が宝物殿におさめられています。武士というよりも貴族として生きた敦盛の悲しい最後を物語っているかのようです。 また黒谷(金戒光明寺 京都市左京区黒谷町)にある蓮池院は、熊谷直実(蓮生)が敦盛を弔った住房跡で熊谷堂とも呼ばれています。 (文責:麗華) |
「敦盛」に使われる作り物・小道具 |
「敦盛」で用いられる小道具には、他の修羅物と同じく太刀、床几がありますが、この曲に特別な物として、前シテ・草刈男とツレが携える草挟(刈り草を挟んだ竹)が上げられます。 少しわびしい感じの小道具ですが、「二段之舞」の小書のある時は、シテは花を付けた芝を負い、右手に鎌を持ちます。さらにツレの一人は草刈籠に花を入れて負い、他のツレの持つ草挟にも花が付けられて、趣のあるやさしい様子になります。 また能で腰掛けに用いられる床几とは、実は葛桶のことです。これは墨漆で塗られた高さ約50cmの円筒形の蓋付きの桶で、金蒔絵の施されたものが多いです。本来は鬘を入れる物なので、特別な用いられ方をしているといえるでしょう。 (演技の際に、大鼓方や小鼓方が腰掛ける折り畳み式の床几とは全く別の物です。) (文責:映) |