今月の特集曲


 「敦盛」の内容

悲哀と懺悔の哀悼記事
  〜 永遠の美男貴公子と幸福のリタイヤ武士の朋友録 in 謡曲「敦盛」


○平 敦盛氏(たいらのあつもり=参議平経盛氏息)
 通称無官の太夫。寿永3年2月、摂津国一ノ谷(現兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町)にて戦死。16歳。

 平家一門の栄華の中、生まれながらの公達として育つ一方、笛の名手としても広く知られ、元服後は"結婚したい男性ランキング"の常連でもあった。その演奏家としての才能はもとより、余りにも早い死に、都の各界より悼む声は多く、世情、うら若き乙女達の後追い自殺が発生するのではないかとまで懸念される程である。

 一ノ谷の戦いより数年経た本年8月、私は平敦盛氏ゆかりの人々に取材を申し込むも、源氏の世となった現在、その取材は困難を極めたので、ゆかりの地、一ノ谷を訪ねることにした。その取材中、奇しくも平敦盛氏先史の一方の当事者熊谷直実氏よりコメントを得ることができた。 以下、熊谷氏が語った話である。(ここよりやっと本題?)

 「私は一ノ谷の戦以後、世の無常を悟り、出家して今は蓮生と名乗っております。今日平敦盛さんの菩提を弔う為、ここに参りました。信じられないような話ですが、昔を追懐していますと数人の草刈り男達が私のもとに来ました。その内の一人が先刻より笛を吹いていた人だったそうですが、その人が十念を授けて欲しいと頼み、姿を消しました。私には、所の者も話してくれたようにその人が平敦盛さんに思えてならないのです。
 その後、回向していますと、ありし日の平敦盛さんが現れて、平家一門の栄枯盛衰を語り、また自慢の笛を吹き、また戦前夜の宴を懐かしんで舞い、更に最後の有様まで見せたのです。その後、私を討とうとしたのですが、出家者の私に同じ蓮の臺を望む者として回向を頼んで消え失せてしまったのです。」  私はこの話を聞き、仏様のありがたさが身にしみたのでした。合掌。

(文責:めぐ)

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