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〜源義経、弁慶の機転により逃亡か?〜 in謡曲『安宅』


 源頼朝政権は、平家討伐の功労者でありながら、現在全国指名手配中の身となっている源義経とその一行の行方は、依然不明であるが、加賀国安宅関(現石川県小松市安宅町)を通過した可能性が高いとの見方を強めている。

 文治2(1187)年2月、同政権によって全国に開設された関所の一つ 安宅関を、東大寺再建立勧進を目的とする強力一行が通過した。
 同関所関守富樫氏によると、強力一行を不審者として尋問するが、強力の1人(弁慶)が所持する巻物を勧進帳と称して読み上げた為、一旦通過許可を下したが、強力一行が源義経一行の変装との嫌疑が持ち上がったので、再度追求を実施する等したが、最終的には同関所通過の許可を下したとのことである。
 更に、同関守は、非礼を詫び、舞を伴う酒宴をも催し、先を急ぐ強力一行を通過させた模様である。

(文責:めぐ)

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