今月の特集曲

「葵上」の舞台
 今回は葵上の悲劇の発端となった車争いについて検討してみることにします。

 実は車争いがおこったのは、葵祭の当日ではなく祭り以前の午または未の日に行われる斉院御禊の日でした。
 この御禊という儀式は、正式には賀茂川で行われたようですが、現在では賀茂神社内の御手洗川(池)で行われています。
 それが終わった後、斉院一行は一条大路を通って紫野の斉院に入りますが、行列見物の為に一条大路には桟敷が設けられ、立つスペースも無いほど物見車が立ち並び、一般民衆は立って見物していました。

 紫野の斉院は建暦2(1212)年に廃絶された後、はっきりした所在地はわからないままになっていましたが、近くに有栖川が流れていたことだけは確定しています。

 角田文衛氏は「紫野斉院の所在地」『王朝文化の諸相』(昭和59)において、諸文献を考証された上で、現在の七野社周辺が紫野斉院の敷地であったと考えておられます。

(文責:麗華)
「葵上」に使われる作り物について
 と題して、いきなり作り物ではないのですが・・・。

 この葵上のように装束を作り物のように使用することがあります。(病床に横たわる葵上をあらわす為に小袖を折り畳んで正先に置くのです。)
 出小袖(だしこそで)とよばれる演出で、他に「藍染川」や「檀風」でみられます。この小袖は物を表現するのではなく、人の身体を意味しています。人をそのまま横たわらせるより、出小袖を用いる方が演技が生々しくなくて能らしいですが、何も出さないというのもいいのではと個人的には思います。しかし舞台に美しさ、雰囲気を求めるならば必要かもしれません。

 出さないといえば車の作り物です。「葵上」「野宮」と六条御息所をシテとする両作品では昔は車の作り物が登場しましたが、今では省略されています。(ただし「野宮」で「車之伝」の小書の時は車の作り物が出ます。)
 車や船などの乗り物系の作り物は、例えば「船弁慶」や「熊野」のように場面転換を感じさせるべく用いられることが多いですね。「葵上」「野宮」の場合はその意味で車の作り物は用いられないのでしょうか?車の登場する「葵上」というのも観てみたいような気がします。

(文責:映)

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