使用する面 |
「海士」では前シテが 深井が近江女 を使用します。 ここでは、深井 について少し書いてみます。 深井 といえば、中年女性の心情をうつした面とされ、「隅田川」「三井寺」「砧」などに用いられます。 能の面には、感嘆する事ばかりですが、女性の心の年齢?=内面の形象化にはことにキメ細やかだと思います。 勝手に思うに、例えば…。 女性は恋をすると、多分綺麗になりたい願望が強くなります。 故に自分の醜さに敏感になり、それをばねに美しくなったり、コンプレックスを持ってしまったり…。何らかの変化をします。 この状態で女性は既に小面では、おっつかないまなざしを持ってしまいます。 その上、結婚したり、子どもを産んでしまったりすると…。 もう自分の心の醜さに唖然とします。(実感にこもってるかなあ…。) 今まで見ないで済んでいた自分の本性の醜さに向き合わなくてはいけなくなります。 一方、女性は受け入れつづけていかなくてはいけません。 知らない間に、半ば無理やり心の許容範囲が広げられていきます。そんな中で本当に守りたいものも生まれてきます。 それは、夫への信頼であったり、子どもという存在であったり。 深井の面は複雑な日常を必死に生きる女性の心情をよくうつしていると思います。 |
元になった和歌 |
今回はシテの一セイに注目してみましょう。 ここで引かれている和歌は、 海人の刈る藻に住む虫のわれからとねをこそなかめ世をば恨みじ です。 この歌は藤原直子(ふじわらなおいこ 生没年未詳)という女性が詠みました。 この女性については、古今集に「典侍」とあります。 そしてこの歌のみが、古今集におさめられています。 ですが、後の和歌に与えた影響はとても大きい歌といえます。 さて、歌の解釈ですが、 自分のせいだと声をあげて泣く事はあっても、決して恨み言は言うまい。 という感じでしょうか…。 潔い恋の終わりの歌のようです。 この歌は前述の通り、能楽「海士」においては、シテとともに登場します。 決して後悔しない決意の元に、愛するもののために命を落としたシテの強さと複雑な悲しさをその登場のときから、BGMのように一貫して訴えつづけていると思います。 ところで、この歌にある「われから」…。 一体どんな虫でしょう? 歌の解説には「海草などに付着する甲殻類の虫」とあります。虫好きの子ガモの影響で、最近虫と聴けば調べたくなる雲井。 困ったもんですが調べてしまいました。 調査の結果、体の長さは1p〜3cm。海藻の物まねが上手なえびの仲間。 写真もみました。どう言えばいいのか。 えびと言うよりは、ナナフシのような、ミズカマキリのような。 なんとも愛嬌のあるヤツでした。 ところが驚いた事に、このちっぽけでいかにも生命力の弱そうな愛嬌者について、実に偉大な生態が明らかとなったそうです。 同じ甲殻類のザリガニのように、「子守り」をするらしいのです。 赤ちゃんワレカラは、お母さんワレカラにくっついて成長するのだそうです。 あのマッチ棒より細く短い体に、たくさんの赤ちゃんをくっつけて、お母さんワレカラは、波にもまれて海藻のフリをしつづけている…。 切なさと壮大さを同時に感じるので不思議です。 子どものために命を賭ける母。 「海士」前場のテーマをワレカラも盛り上げてくれそうです? いくら世阿弥さんといえども、ワレカラのこの子守行動までは知らなかったでしょう…。 しかし、ワレカラを知ってしまった私たちは、この和歌で二倍の効果を得られると言うわけです? クフフ。 …でも、もしかすると、世阿弥さんゆえやっぱり計算済みかなあ。 でも、いくらなんでもそこまではなあ。 でも、もし知ってての元和歌どりだったら、お能の奥は深すぎて、 まさに、潜っても潜っても辿り着けない竜宮のよう。 (文責:雲井カルガモ) |