使用する面
深井と般若の悩み相談

般若「あなたと一緒だと、私は自分がどういう存在なのか、少し考えてしまう・・・・。」

深井「え?」

般若「というのも、私は、恋い焦がれる気持ちからこんな姿になってしまった筈なのに、ここでは同一人物。あなたは、私が借りたいと思うような姿ではないでしょう。」

深井「まぁ、そうですけど、ちょっと失礼ですよ。」

般若「でも、私みたいに『角を出す』姿っていうのは嫉妬から来るものでしょう。」

深井「そう。般若さんはご自分がメインで、そのご自身の姿と、安達原での仮の姿をはっきり分けて考えたいご様子だけれど、それは違いますでしょう。表裏といいますか、ね。私に言わせれば、あんなに念を押したのに、約束したのに、裏切られたのですよ。」

般若「は、そういえば・・・。」

深井「元々が若かろうが、そうでなかろうが、志していようが、していなかろうが。自分の身を恥じているから、こんな性分を疎ましく思っているから、見られたくなかっただけなのに。ああ、口惜しい。男なんて、信用できないわ。そりゃあ鬼にもなるでしょう。」

般若「(もしかして、いろんな経験をつんでいらっしゃるのかしら?やっぱり女を怒らせると怖いわね。)」

(小梅)

元になった和歌
今回は、
「みちのくの安達原の黒塚に、鬼こもれりといふはまことか」(平兼盛 拾遺集)
をとりあげたいと思います。

この和歌の作者、平兼盛は三十六歌仙の一人で、和歌だけでなく漢字にも通じていたとか。
百人一首にも「忍ぶれど色に出でにけりわが恋は ものやおもふ と人の問ふまで」という和歌が採られています。

この和歌には詞書(ことばがき)がついていまして、
「名取郡黒塚に重之が妹あまたありと聞きつけていひつかはしける」
(訳:名取郡黒塚にいる源重之(彼も三十六歌仙)には妹が多いと聞いたので、たずねてみた)
となってます。

鬼伝説にかこつけて、歌枕にあこがれる兼盛がみちのくの女(オニナ「女」=「オニ」)を皮肉った歌だともいえますが、それにしても「妹」を「鬼」にたとえるなんて、ひどいですねぇ。(笑)

また『大和物語』(五十八段)にも
「おなじ兼盛、みちの國にて、閑院の三のみこ(清和天皇皇子貞元親王)の御むこにありける人、黒塚といふ所にすみけり、そのむすめどもにをこせたりける、
みちのくの安達の原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか
といひたりけり。
かくて、「そのむすめをえむ」といひければ、親、「まだいとわかくなむある。いまさるべからむ折にを」
(訳:兼盛は陸奥国にいる閑院の三の皇子(清和天皇の皇子貞元親王の第三子・従五位下源兼信)に対して「娘を嫁に欲しい」と言ったが、「まだ若いので嫁にはやれない」と言われた)
とあるので、かなり古くから鬼女伝説はあったのかもしれません。

つまり「安達原」は『拾遺集』や『大和物語』の和歌をベースにしたものだといえるでしょう。

(文責:とりあ)

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