演者のこころ

舞台にかける意気込みや感想を、美樹先生に語っていただきました。

「箙(えびら)」(2008年2月9日 上演予定)
「心の花も梅も散りかかって面白や」
この言葉が大好きで舞ってみたいと思いつつ、直面やしあかんやろなと諦めていた曲。思い切ってお願いしてみたらお許しいただきました。
正直、梶原親子についてはあまり知りませんでしたが色々調べていくうち、景季の若武者らしい明るさ、景時の息子たちに対する深い愛情。。。能の曲としては単純な、分かりやすい曲だと思いますが、それをストレートに表現するというのもまた難しいこと。
「同じう死ぬるとも敵に後ろを見すな」
春にさきがけて花開く梅のようにまっすぐに、凛と舞えれば、生きていければ、と思います。
「半蔀(はじとみ)」(2003年10月11日 上演)
半蔀は学生の時に舞わせていただいた思い出深い曲です。
自分の能楽師人生の中で2回も同じ曲を舞うというのはおそらくこれだけであろうと思われます。
十数年前を振り返れば卒研、就職活動の合間をぬって空いてる時間があればお稽古をしていました。
研究室の先生に部活をやってるのはあんただけやと言われたりしましたがお盆休み返上でデータを出し、東京まで見に行ったりもしてました。
その情熱はどこいったんやってなもんですが、能を舞うことの怖さ、人間の怖さ、世間の怖さを(少しばかり)知り、また新たな気持ちで今の自分にできる精一杯のことをしたいと思います。
先日たけしの座頭市を観ていたく感動?したのですが、自分にはあんな才能は無いけれども、たけしのように心底楽しんで仕事をすることはできるかも、、、?
まだまだそんな余裕は無いですが学生の頃のように純粋に能を楽しむ、その心は忘れずにしっかり勉強していきたいと思います。
「巴(ともえ)」(2003年3月2日 上演)
この度、早春立合能で巴を舞わせていただくこととなりました。巴は以前から好きで、ぜひ舞ってみたいと思っていたので大変嬉しかったです。
巴御前は言わずと知れた木曽義仲の愛妾、強く美しい女性です。
女として、部下として、義仲を慕っていたにもかかわらず「女だから」という理由だけで共に死ぬことすら許されなかった巴の心情はいかばかりか、と思います。
義仲の「汝は女なり」の言葉の中にどのような意味があるのか、私にはわかりません。理由はどうであれ、義仲は巴には生きていてほしかったのだと思います。
もし自分が義仲だったら、自分が死んでも愛する人には前を見て生きていってほしいと思うし、自分が巴だったら愛する人の分まで生きたいと思います。
強く、美しく、そして哀しい巴をどこまで表現できるかわかりませんが、悩みながら自分なりに理解して舞いたいと思います。
「西王母(せいおうぼ)」(2002年12月14日 上演)
西王母という曲ははっきり言ってこれといった内容もなく本当に基本的な曲です。
3千年に一度花咲き実のなる桃花が穆王の御代に咲き、めでたいことだ…という粗筋です。
最初この曲は面白いんやろか、などと考えていましたがそんな事よりこれを機会に基本をしっかり見直そうと思いました。そういう意味で本当に勉強になりました。
今回は前ツレ戸川瑞穂、後ツレ鷲尾世志子、と女性ばかりというのも面白いかと思います。余り出ない曲なのでこれを機会に御覧になるのも如何でしょうか。
類似曲に東方朔があります。彼はその桃を3つ食し、9千年長生きしたのですが一人でそんなに生きて楽しいものかなどとくだらない事を考えつつ、初心を忘れず舞いたいと思います。
最後になりましたが少ない資料の中から原稿を書いて下さった皆様、お疲れさまでした…。
「鵺(ぬえ)」(2002年 8月24日 上演)
栄光を得た頼政と、その頼政によって命を失った鵺と、その両極にあるものを1時間少しの間に演じなければならないというのは、大変難しいことだと思います。
そもそも栄光とか、人生の勝ち組とか(最近のCMの『将来何になりたいんだ…勝ち組。』好きです)ってどういうことなんでしょう。絶頂があればどん底もあるし、頼政だって結局クーデターに失敗して、75歳にして自害しましたし…。
栄光とか、幸福とか、不幸って結局それは周りの判断であって、一番大事なのは自分の心持ち…ということで、今の自分にできる精一杯の力で勤めさせていただきたいと思いますので、ご高覧のほど、よろしくお願い申し上げます。
「石橋(しゃっきょう)」を終えて
去る12月24日に無事に独立能をおえることができましたのは、ひとえに先生方、先輩方、自分に縁する全ての方達のおかげと深く感謝致しております。
入門してからほぼ10年。いろいろなことがありました。毎日のようにやめようと思っていましたし、これでいいのかとずっと迷っていました。未だにその迷いはありますが、この仕事を続ける限り、ずっとあるのでしょうが…悔いはありません。
石橋はずっと独立のときに舞いたいと思っていた曲です。学生の頃から獅子は好きだったのですが。念願叶って舞わせて頂いたわけですが、消化しきれてないうちにおわってしまった感じです。もしまた機会があれば(無いでしょうけど)舞うてみたいと思います。
まだまだ未熟者ですが、どうぞこれからもよろしくお願い致します。
「石橋(しゃっきょう)」(2001年12月24日 上演)
この度、先生のお許しを得て、石橋という大曲を披かせて頂くこととなり、今更ながら私なんかに勤まるのやろか、と不安にかられています。学生の時に能とであい、好きが高じてここまできたのですが、まさか自分が石橋を舞おうとは…。
しかしここまでこれたのも、先生や豊彦先生、同門の先輩方、そして周りの皆様のお力添えのあってこそ、言葉では言いつくせない程感謝しています。今まで本当に色んなことがありました。はっきり言うとこの選択が果たして自分にとって一番良い道なのか未だに迷いながらやってます。迷いはありますが、後悔はありません。
せっかくここまできたのですから、この先はわからなくとも、精一杯稽古して悔いのないよう勤めたいと思います。
最後になりましたが、チラシや番組を作るのに多大な尽力を下さった先輩、後輩の皆様、HP作成班の皆様、応援して下さってる皆様に厚く御礼申し上げます。
まだまだ未熟者ですが、どうぞご来観賜ります様、お願い申し上げます。
「東北(とうぼく)」(2001年7月15日 上演)
たくさんの恋の歌が多い和泉式部ですが、この東北では歌舞の菩薩となっています。
浮世の雑念から解き放たれ、ただおだやかに梅の花を愛でる式部の姿があるだけです。
長い冬の間の風雪に耐え、りんと美しい花を咲かせる梅の花と式部の君がだぶってみえます。
この曲を頂いた時、大丈夫かしらと思ったのですが、まっすぐさ、素直さを目標にがんばりたいと思います。

 


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